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「自分で歩きよった。他の選手が支えてくれて…」中1で“骨肉腫”に罹った名門ボーイズ選手の話…闘病を支えた仲間たちとの「その後」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph by本人提供
posted2024/07/05 17:03
名門・生駒ボーイズ所属時代に骨肉腫に罹った音野峻也。現在は病を克服し、強豪・東北福祉大で学生コーチを務める
塾高2年夏、キャプテンになって新チームをスタートさせた。しかし、3年生の2020年はコロナ禍により高校野球最後の年が奪われる。
学校そのものが休校になり部の練習も全くできない。オンラインのミーティングと、日々綴った野球ノートを共有して気持ちを保った。緊急事態宣言が解かれ集合したのも最初は3年生だけだった、という。
高校で野球を終える仲間への激励にも苦心した。
「大学で続ける者には『独自大会を目指そう』と言えますが、続けない部員は最後の目標がなくなってしまった。『何を目標にすればいいの』と。僕たちには考えられない葛藤があって、頑張ろうと言われるのは想像以上の苦痛だったと思う」
かける言葉が難しかった。独自大会は5回戦で終えた。
生駒ボーイズが作った「基礎」
24名の同期の中から10人が慶応大学の野球部に入部した。
本間は1年春から捕手、内野手でベンチ入りを果たす。1、2年ではリーグ戦の出場はなかったが、3年になってサードのポジションを獲得。昨年秋は打率・340、3ホームランを残してベストナインに選ばれた。
4年では自分が引っ張っていく、とキャプテンに就任。春季リーグもエースの外丸東眞が健在、優勝候補の筆頭とみられていた。しかし、当の本間が不調だった。昨秋に肩を脱臼して秋のシーズンはテーピングをして調子を保てたが、オフに手術した。完治してチームへの合流が3月のオープン戦終盤までずれ込んだ。
「実践感覚の戻るのが遅れたかもしれない」という。
最終的に打撃の調子は戻らず、2ホームランは放ったが、規定打席に達した野手の中では最下位の打率・143だった。明治と早稲田には勝ち点を奪われた。「大観衆が集まる早慶戦が大好きです」と言うが、春はその早慶戦で連敗。早稲田の優勝を眼前で目撃することになった。
キャプテンらしく声を張り上げ鼓舞するファイターぶりは、秋に実るだろうか。(文中一部敬称略)
<次回へつづく>