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立教大監督を解任→実業団選手に転身、上野裕一郎38歳に聞いた「電撃復帰」の真相「ひらまつ病院が拾ってくれた」「立教大の選手に会うと…」 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/06/29 06:01

立教大監督を解任→実業団選手に転身、上野裕一郎38歳に聞いた「電撃復帰」の真相「ひらまつ病院が拾ってくれた」「立教大の選手に会うと…」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

立教大学を箱根駅伝出場に導いた上野裕一郎が昨年秋に解任され、「再就職先」として選んだのは、ひらまつ病院(佐賀県小城市)だった。復帰の経緯を本人に聞いた

「(チームの拠点が)九州は初めてだったのですが、どこに行ってでもやりますという覚悟でいました。自分が指導するというのも、あの問題があってすぐに指導なんてできるわけがないと思っていたので、プレイヤーとして求められているならそこで結果を出すしかないと思っていました。『もう38歳でしょ』という声もあると思うんですけど、こんな状態の中、拾っていただいた自分ができることは、チームから求められていることをやり遂げて、結果で恩返しすることです」

パパはあなた一人しかいないんだから

 家族には、正式に決まった後に連絡をした。妻からは「もう1回陸上できるんだから頑張って。私はいいから子どもたちを守ってあげて。パパはあなた一人しかいないんだからしっかりして」と言われた。

「ものすごい心の傷を負っているはずなのに、うちの妻からは『子どものことを優先し、大事にしてほしい』と何度も言われました。改めて、妻の気持ちを大事にしつつ、自分自身しっかりして、家族を養えるように陸上で結果を出していくしかないと思いました」

上野が涙した、あるメッセージ

 上野のひらまつ病院加入は、さすがに歓迎ムード一色とはならなかった。ニュースとして報じられると、SNS上では再起に期待する声と同時に、「禊も済んでないのに、もう復帰かよ」「なんで、また陸上やってんの」など、ネガティブで厳しい声が飛んだ。そうした負の矢印は、当然、ひらまつ病院にも向けられた。その時、上野は病院側から、こう言われたという。

「うちは何を言われてもいい。こうなるのは分かって採っているから。理事長や部長、監督が盾になる。その代わり必死に頑張ってくれ」

 上野は、その言葉に涙がこぼれたという。

【次ページ】 こんな僕を温かく迎え入れてくれた

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