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藤井聡太でも伊藤匠でもない…小3の全国大会で優勝、藤井世代“もうひとりの天才”はなぜプロに進まなかった?「将棋を指す行為が“嫌い”になった」
text by
茂野聡士Satoshi Shigeno
photograph byKeiji Ishikawa
posted2024/06/23 06:00
藤井聡太と伊藤匠。2人が出場した小学3年の全国大会で優勝したのが川島滉生さんだ。本人に話を聞いた
川島さんと伊藤が初めて出会ったのは小学校1年生の夏ごろ。それ以降、同じ将棋クラブで腕を磨き合った間柄だった。とはいえ当初は、伊藤の棋力が圧倒的に上で、コテンパンに負かされた。
「最初に出会ったのは小1の7~8月で、実力差がありすぎたんです。そこから徐々に自分にも棋力がついてきて〈ちゃんとした将棋になりはじめてきたかな〉と思い始めていた。だけど彼の本当の強さが分かったのは小2の春から夏前のことで〈これは本物だな〉と思ったんです。終盤力がズバ抜けていて、終盤にすごく突き放される。あるいは優勢だったはずの将棋で大逆転負けを食らったりして、他の人と違うというのは感じざるを得なかったんです」
ただそれと同時に、本人が「将棋に向いている」という気持ち――負けん気も燃えていた。
あの時はほとんど差はないという感覚でした
「僕も負けず嫌いなところがあるので、実力が圧倒的に雲の上だとしても、彼を目標にするしかない。〈いつか追いついてやろう〉という気持ちは、最初に負けた時から持っていたんです」
たっくんに追いつくために――川島さんは「土日だと1日10時間は平気でやっていましたね」というほど、将棋に心血を注ぎ込んだ。その思いを持って実力を磨き上げ、大舞台で伊藤に勝利したのが、冒頭に触れた小学生大会である。
「ずっと当時2人で相矢倉をやっていて、対局の95%が相矢倉だったんです」
当時、将棋界の頂点に立っていたのは、羽生善治・現日本将棋連盟会長と、大会に出席していた森内だった。名人戦を筆頭にしたゴールデンカードでは相矢倉での戦いが多く、2人は自然とその形で戦っていたそうだ。その中で伊藤の変化に川島が対応し、見事勝利したのだった。
「あの時はほとんど差はないという感覚でした。やれば勝率45%くらいはあるなっていう距離感でした」
尻尾はつかみかけるんだけど…
ただそれと同時に、強くなる過程においてこんな気持ちも感じていたのだという。
「だんだん尻尾はつかみかけるんだけど、また逃げられちゃう。そんな状況が続いていたんです」
差を詰めたはずなのに、また少しずつ引き離される。川島さんは、徹底的と言っていいほど将棋に一意専心する伊藤の姿勢に「プロ棋士を本気で目指す人物」の凄みを感じていた。
<続く>