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長谷部誠29歳「人間として納得しないんです」“年俸大幅ダウン移籍”のち降格危機…なぜW杯直前ドクターストップでもチームに尽くしたか
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byThomas Langer/Getty Images
posted2024/05/23 06:01
2013年、ニュルンベルク入団会見での長谷部誠。当時29歳での新天地挑戦は、勇気を持ったものだった
しかも、あの頃はまだW杯前のシーズンに移籍するのは、出場機会を大きく減らすリスクがあるから避けるべきだという風潮が強かった(最近では、1年間で飛躍的に成長するチャンスを手にできるからと、W杯前年の移籍も好意的に受け止められることが多い)。
何より、ヘッキンク監督からは高く評価されていたのだ。ボルフスブルクに残っていれば、前述したドイツ杯優勝やCLでのベスト8進出など、その後の躍進に貢献した可能性は高い。実際、アロフスGMやヘッキンク監督から強く慰留された。
「君は現時点で、うちの右サイドバックでは一番手の選手なんだぞ!」
築き上げた地位も、給料面に表れる評価も、安住の地も手放したのは何故だったのか。
長谷部が後に明かした「移籍の決定的理由」
長谷部がこだわったのは、自分の生きる道をつらぬくことだった。
ニュルンベルクとの交渉の過程で、ボランチの選手として評価されていることを伝えられたのが大きかった。しかも、資金力に恵まれないなかで、クラブ史上最高タイの金額を支払ってまで「君を獲得したい」と名乗り出てくれた。
長谷部は後に、移籍の理由をこう明かしている。
「やはり、一つ大きかったのは2014年のW杯の存在ですよね。30歳で迎えることになるブラジルW杯が(自分のキャリアのなかで)最後のW杯になるかもしれないと当時は思っていたので。もっと成長するために、ボランチで出られる場所に行きたいという考えが自分のなかでありました」
ニュルンベルクでは不動のボランチとしてピッチ上を走り回った。加入してからウインターブレイクに入るまで、全試合に先発しただけでなく、フルタイム出場を続けた。チームはシーズン前半戦で未勝利と苦しんでいたが、長谷部はニュルンベルクの心臓だった。ボルフスブルク時代にサイドで起用されることが多かった事実を忘れさせるような存在感があった。
W杯イヤー、ドクターに告げられた悲劇
しかし、W杯イヤーに入った2014年1月上旬に悲劇が襲う。
ウインターブレイク中のスペインキャンプでの練習試合で、右膝の半月板を痛めてしまったのだ。このときはすぐに日本へ飛び、手術を受けた。
その後はニュルンベルクに戻り、復帰に向けてリハビリに励んでいた。ところが、2月末に再度、同じ個所を痛めてしまったのだ。ちなみに前半戦で勝利のなかったニュルンベルクは、シーズン途中の監督交代の成果が出て、後半戦に入ってから一気に調子を上げていた。長谷部の復帰が1部残留を決定的にする最後のピースになると思われていたタイミングでのあまりに痛いアクシデントだった。
さすがの長谷部もこのときばかりは動揺していた。