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《ジャスティンミラノ騎乗》日本ダービーに臨む戸崎圭太が明かした“天国の藤岡康太”への誓い「康太、ありがとう。お疲れさまでした」

posted2024/05/24 17:00

 
《ジャスティンミラノ騎乗》日本ダービーに臨む戸崎圭太が明かした“天国の藤岡康太”への誓い「康太、ありがとう。お疲れさまでした」<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

無敗で皐月賞を制したジャスティンミラノ

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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Kiichi Matsumoto

 悲劇を越えて、渾身の末脚で掴んだ涙の皐月賞。堂々たる本命として臨むダービーを前にしても、鞍上に気負いはない。亡き藤岡康太が育んだこの馬の力を信じて、ともに頂へ進むだけだ。
(初出:発売中のNumber1096号[決戦直前インタビュー]ジャスティンミラノ&戸崎圭太「2人でダービージョッキーに」より)

ジャスティンミラノ、デビュー3連勝

 ゴールまで残り200m。戸崎圭太が騎乗するジャスティンミラノは、先に抜け出したジャンタルマンタルに3馬身ほどの差をつけられていた。

 ――まずい、届くだろうか。

 戸崎はそう思いながらも、騎乗馬を支えてきた後輩騎手の力を近くに感じ、渾身のアクションで追いつづけた。それに応え、ジャスティンミラノは猛然と末脚を伸ばす。

 2024年4月14日、中山競馬場。第84回皐月賞の直線でのことだった。

「康太、康太!」

 ジャスティンミラノを管理する友道康夫は、スタンドの調教師席で藤岡康太の名を叫んでいた。

 ジャスティンミラノはゴールまで残り3完歩ほどのところで内のジャンタルマンタルをかわし、外のコスモキュランダの猛追も封じて、勝った。「史上稀に見る大混戦」と言われたクラシック三冠の初戦を、デビューから3連勝で制したのだ。勝ちタイムは1分57秒1のコースレコードだった。

「康太、ありがとう。お疲れさまでした」

 検量室前に出てきた友道も、友道厩舎のスタッフも泣いていた。下馬して友道と抱き合った戸崎はゴーグルをつけたままで表情は窺えなかったが、涙を隠していたことは、ゴーグルを外して勝利騎手インタビューに応じたときにわかった。

「この馬は、藤岡康太ジョッキーが2週前、1週前と攻め馬をしてくれて、事細かく状態を教えてくれました。康太、ありがとう。お疲れさまでした、と伝えたいです」

 藤岡は、皐月賞の前週、4月6日のレース中に落馬し、同10日に亡くなった。35歳の若さだった。彼は、ジャスティンミラノがデビューする前から、ずっと稽古をつけてきたのだ。

 藤岡の事故以降、騎手たちが普通の精神状態でレースに臨めなくなったのか、翌日のレースでも複数の落馬事故があった。いつもとは違う雰囲気のなか、藤岡と戸崎、友道、そしてジャスティンミラノとの絆の強さを証明することになった、特別な皐月賞であった。

「康太も、『まだまだ緩いですね』と」

 藤岡は、明るく、礼儀正しく、爽やかで、誰からも愛される騎手だった。'07年にデビューし、'09年のNHKマイルカップでGI初勝利。昨年、急きょ乗り替わりとなったナミュールでマイルチャンピオンシップを勝ち、GI2勝目をマーク。その勢いで今年に入り、デビュー以来最多の63勝を挙げた昨年を上回るペースで勝ちつづけていたなかでの事故だった。

 藤岡は、マカヒキ、ワグネリアン、ドウデュースという3頭のダービー馬をはじめ、友道厩舎の多くの馬の調教に騎乗していた。

 そんな彼がジャスティンミラノの調教に乗るのは自然な流れだった。この馬が友道厩舎に入厩したのは昨年の9月14日。ゲート試験に合格してから放牧に出て、10月15日に帰厩し、デビューに備えた。

「新馬戦の前はそんなに目立った動きをしていなかったので、康太も、『まだまだ緩いですね』と言っていました」

【次ページ】 「あいつのずるいところは、笑顔しか残っていないんです」

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