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世界1位のまま25歳で突如引退、全盛期の世界女王はなぜテニス界を去った?「記者会見に赤ちゃん同伴」“天才少女”アシュリー・バーティの今
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2024/04/12 17:03
生涯グランドスラムにリーチをかけながら、世界1位のまま2022年にテニス界を去ったアシュリー・バーティ。天才少女の競技人生を振り返る
マルチナ・ヒンギスの再来
子供の頃から「マルチナ・ヒンギスの再来」と言われた天才少女。オーストラリアの先住民の血を引くこともまた関心を高める要素になっていた。15歳でウィンブルドン・ジュニアのチャンピオンになったその年にプロ転向し、すぐにワイルドカードをもらってグランドスラムにも出場し始めるが、大きすぎる期待に結果がついていかなかった。同国のケーシー・デラクアと組んだダブルスでは、そのテクニックの高さを生かしてグランドスラム全大会で決勝に進出するなど活躍したものの、シングルスでは一度も2回戦すら突破できないまま3年が過ぎた。 重圧と批判に耐えきれず、プロツアーに馴染めないシャイな性格のせいか、南半球からの長いツアー生活ではホームシックにも陥った。 そして18歳の若さで決断したのが「プロ活動の休止」だった。
休養期間中にクリケットの有望選手に
そのときは多少ニュースになったが、200位そこそこの選手の不在を人々が気に止めている時間は短い。コートからも人々の記憶からも消えた天才少女は、その間、英連邦で人気のクリケットに転向していた。ラケットをバットに持ち替えても、ボール扱いのセンスは健在で「1年やれば代表チームに入れる」とまで言われた有望選手だったそうだ。
しかし、その期間を待たず、20歳のときに再びテニスコートに戻って来る。チームスポーツの新鮮な楽しさを味わう一方で、やはり一対一の勝負のスリルを欲する自分に気づいたという。もう一度テニスコートでチャレンジしたい気持ちを抑えられなかった。
「テニスから離れていなかったら今の私はない。あの決断は正しかった。そして、テニスに戻るという決断はそれ以上に正しかった」