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「かなりビックリした」阪神・佐藤輝明が明かす“59打席連続無安打”より追い込まれた“まさかの二軍行き”「岡田監督ってプレー以外も見てる方なんやな」
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/04/04 17:01
プロ入り4年目を迎えた阪神・佐藤輝明(25歳)。昨年はキャリアハイの92打点をマークした
「絶対無理、みたいな気持ちがなかったわけではありません。でもあの時に限らず、心の奥底では自信あるというか、なんとかなるやろ、みたいな思いがあったんですよ」
彼の自己分析によれば、佐藤輝明という人間は「とことん楽観主義者」だという。
「野球以外のところでもそうですね。口ではもうあかんって言ってても、根っこのところでは悲観してないというか」
長い長いトンネルを抜けたあと、佐藤が再び勢いを取り戻したかといえば、実は違う。そこからの27打席における打率は2割を切っている。59打席ノーヒットに突入する前の打率が2割8分近かったことを考えても、“なんとかなった”とは言い難い。しかし、長いセ・リーグの歴史でも最長となる深刻なスランプですら、佐藤にとっては「壁と言えば壁だったのかな」程度のものでしかなかった。3年間のプロ生活の中で、彼の精神状態が一番追い込まれたのは、昨年、ルーキーイヤー以来となる二軍行きを告げられた時だったという。
「なぜ二軍落ちを命じられたか」という疑念
「交流戦が終わった6月下旬、横浜遠征の時でした。ホテルに戻ったら平田(勝男)ヘッドに呼ばれて二軍落ちを告げられました。そのまま名古屋に移動です」
まず佐藤の胸中に浮かんだのは疑問符だった。出来が悪かった、許されないミスを犯したというのならばわかる。だが、その日の彼は試合自体に出場していなかった。
「ちょっと、というか、かなりビックリしました。それまで結果が出てなかったんですけど、ちょっと当たりが戻ってきてた時期だったので。このタイミングかあ……というのが正直なところでした」
ショックはあった。それでも、新幹線に飛び乗り、名古屋で二軍に合流するころになると、「10日で一軍に戻ってくればいいか」と頭は切り替わっていたという。
なぜこのタイミングで二軍落ちを命じられたのか、という疑念に対する自分なりの答えも見つかった。
「そうか、岡田(彰布)監督ってプレー以外も見てる方なんやなって。あの日、ぼくはベンチにいた。なのに、盛り上げる声とか全然出してなかったんです。監督からすると、試合に出てなくてもベンチからできることあるやろ、なのになんで何もせえへんねんってことだったんじゃないかな、と」
ベンチで声を出していなかったのは、不調で気持ちが沈んでいたから、ではなかった。大学時代から希代のスラッガーとして注目され、長打でチームをもり立ててきた佐藤には、声でベンチを盛り上げるという習慣も発想もなかった。だが――。
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