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“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎

posted2024/03/13 11:02

 
“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

'85年のバースは打率.350、54本塁打、134打点で三冠王に輝いた

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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BUNGEISHUNJU

3年間の成績は3位、4位、4位。あまりにも急で一方的な就任要請、トラブルに翻弄され、理不尽なバッシングも浴びた。だが、断言できる。この男の功績なくして、あの栄光はなかった、と。「ミスター安藤」を尊敬してやまない“史上最強の助っ人”ランディ・バース70歳の誕生日を記念して、Number1074号(2023年6月1日発売)より『[育成と忍耐の3年間]安藤統男が築いていた1985年日本一の礎』を無料で全文掲載します。

広岡達朗に監督オファーを固辞され…

「大変なことが起こった。とりあえず大至急、日本に戻ってこい!」

 教育リーグ参加のために渡米していた安藤統男に連絡が入ったのは、1981年秋のことだった。すぐにフロリダ州タンパからサンフランシスコを経由してホノルルまで飛んだ。その日はすでに飛行機がなく、翌日早朝の便で成田に到着。自宅に戻ることなく、梅田の球団事務所に向かった。

 当時、安藤は阪神タイガースの二軍監督を務めていた。渡米前には「お前が帰国する頃には広岡が監督になっているからな」と言われていた。安藤が当時を振り返る。

「前任の中西太さんの退任が決まって、後任監督として広岡達朗さんに絞って交渉をしていたそうです。ところが、契約がうまくいかずに、“とりあえずお前にやってもらわなければ困るんだよ”となったけど、僕としても何も準備していないわけです。それでも、“タイガースのために頼む”と言われれば、引き受けるしかないでしょう」

 チームにとっての非常事態だった。このとき阪神のオファーを固辞した広岡は、西武ライオンズの監督に就任する。同時に安藤は第22代監督として古巣を率いることになった。監督就任にあたって、球団は異例ともいえる「5年契約」を提示した。

「球団から“3年でチームを作ってほしい”と言われました。その上で、残りの2年で優勝を目指して勝負する。さらには、“お前は若いのだからその後も(契約を)3年延長して、また新しいチームを作ってほしいと思っている”とも言われました」

 慶應義塾大学を卒業し、論理的に物事を考えることのできる聡明さは早くから評価されていた。現役時代から幹部候補生と目されていた安藤は、このとき42歳。'78年にヤクルトを日本一に導いた広岡に断られはしたものの、生え抜きの青年監督に対する球団、そしてファンからの期待は大きかった。こうして安藤は、現在も含めて唯一となる“慶應OB監督”となった。

理想としたのは「川上哲治監督のV9巨人」

 就任1年目となる'82年シーズン。安藤が掲げたのが「機動力野球の徹底」だった。

【次ページ】 長距離砲の最終候補はバースとブーマーだった

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