かといって「プロ」という選択肢が浮かばなかったわけではない。だが、そんなとき、頭の中に現れるのが井上尚弥だった。

「あれ、待てよ。尚弥はプロになるから、そうなったらスパーリングをやらされるのかな。おそらく同じ階級になるだろう……。ああ、絶対に嫌だな」

　そうしてプロの選択肢を即座に打ち消した。加速度的に成長する井上に勝てるイメージが、どうしても湧かなかった。

井上尚弥のパンチは「鈍器からナイフに進化した」

　あれから12年。井上は2階級で4団体の王座を統一し、世界中から注目を集めるボクサーになった。林田は現在の井上をどう見ているのだろうか。

「スタイルの本筋は変わっていないけど、当時と比べてすごく上積みがありますよね。あれだけパワフルに打たれたら、対戦相手としてはたまらない。ナイフを突きつけられているようなものですから」

林田太郎が「ナイフを突きつけられているようなもの」と表現した井上尚弥の強打　©Takuya Sugiyama

　井上の強烈な右や左フック。対戦相手はガードの上からでも衝撃を受ける。林田でいえば、初戦のアッパーがそうだった。あまりのパンチ力に、まるでナイフを突きつけられたかのように恐怖心を抱き、防御姿勢になってしまう。一発もらったら終わる――そう思うと、井上の前戦、マーロン・タパレス（フィリピン）のように自然と重心が後ろになる。

「僕と闘った当時、尚弥が持っていたのは“鈍器”だったかもしれない。でも、今はナイフですよね。尚弥は分かっていると思うんです、自分のアドバンテージを。少しワイルドに振って、ガードの上からでもガツンと相手に恐怖心を与える。だから僕も学生に言うんです。『パンチ力を鍛えよう』って。そうしたら自信が持てる。自分のボクシングをやりやすくなるから、ってね」

現在は駒澤大学のボクシング部コーチとして後進の指導にあたる林田太郎　©Hirofumi Kamaya

「尚弥のおかげで『名もなき戦士』にも陽が当たる」

　では、井上との3度の対戦は現在の林田に何をもたらしているのだろうか。

「アマチュアボクシングって、すごく実力はあるのに、プロと比べて陽が当たらないと思うんですよ」

　アマチュアの競技レベルは高い。3分3ラウンドならば、プロのトップ選手も舌を巻くほどだ。世に名は知られていなくとも、本物の実力者がずらりと並ぶ。林田はそんなアマの選手たちを「名もなき戦士」と呼んでいる。

「尚弥のおかげで、こうやって過去に闘った『名もなき戦士』たちがフィーチャーされる。本当にありがたいし、貴重な存在だと思います。アマにもこんな凄い選手がいたんだ、と分かってもらえますから」

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