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“古巣のユニフォームはファンにプレゼント”で「手元にはもう何もない」…《カープ戦力外→新潟入団》薮田和樹がそれでも心に残す“男気”の背中
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/02/29 06:03
カープ戦力外→新潟入団の薮田和樹。2017年には最高勝率のタイトルも獲得した実力派は、新潟の地から12球団への復帰を目指す
昨季まで独立リーグのルートインBCリーグに所属していた新潟は今季、NPBのイースタン・リーグ参加が決まっていた。NPB復帰への最短距離だととらえるからこそ、オファーをもらうと即決した。打者との対戦機会が少ないイースタンでの登板は「打者の目線を変えられる」という利点もある。
薮田が手放したものは、ユニフォームだけではない。
「自分は(猛練習で有名な)亜細亜大学出身なので、できなかったら練習して、またできなかったら練習してという『足し算』ばかりでした。でも、『引き算』に変えたんです」
ウエートトレーニングをやらなくなったのもその一つである。若い頃は、体を鍛えれば球が速くなるのだと信じ込んでいたところがあった。だが、近年に至るまで剛速球は鳴りを潜めたままである。
「トレーニングをやるだけやって、それでも球が速くならないのだから、一回、全部、捨ててみようと。やり方をガラリと変えて」
2年前からバーベルなど重いものを持たなくなった。球界のエースとして君臨したオリックスの山本由伸(現ドジャース)がそうだと知り、亜細亜大で同学年のDeNA山崎康晃も、やはり負荷をかけた筋トレを行わないと聞いて納得した。いまでは、ウエートトレーニングを行わなくなった。
「やはり、野球の技術は野球をしないと身につかないと思いました。常にいい体の状態で試合を迎えるように心がけています」
今でも記憶に残る、カープ時代の「ある背中」
薮田は壁に跳ね返されながら「無駄」をそぎ落とし、今がある。器用な生き方ではないだろう。それでも、紆余曲折を経て、シンプルな思考に行きついた。
カープ時代の多くを捨てても、心に留めていることがある。ルーキーイヤーから2年間、ともに戦った黒田の振る舞いだ。ある時、球場入りすると、先発登板日なのに汗びっしょりだった。先発はスタミナ勝負であり、バテてしまっては元も子もない。だから、通常、当日は体力を温存してマウンドに向かう。薮田もまた、軽く動いてから試合に臨んでいたが、メジャーリーグでも活躍した不惑のベテランは違った。