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「張本は勝てないと言われて…」卓球史に残る“死闘”を制した張本智和20歳が語った世界卓球への決意「文句なしのエースと胸を張って言える」
posted2024/02/21 11:00
text by
高樹ミナMina Takagi
photograph by
Asami Enomoto
卓球史に残る死闘の末に
「文句なしのエースと胸を張って言える」
1月の全日本選手権男子シングルス優勝会見で張本智和はほっと胸をなで下ろした。
卓球史に残る凄まじい決勝戦だった。
2連覇中の戸上隼輔に8度のチャンピオンシップポイントを握られながら4-3のフルゲームで競り勝った張本。この6年は海外ツアーで優勝しても全日本のタイトルから遠ざかり、「男子日本のエース」と呼ばれることに居心地の悪さを感じていたという。死闘の末の王座奪還は、そんな悶々とした気持ちにけりをつけた瞬間だった。
昨年20歳になった張本がエースの看板を背負ったのはわずか13歳のとき。きっかけは'17年世界選手権(個人戦)だった。
男子シングルス2回戦で当時、不動のエースだった水谷隼を破り準々決勝まで勝ち上がると、史上最年少記録でベスト8入り。さらに翌年1月の全日本選手権決勝で再び水谷を破り、初の日本一に輝いた。
この快挙を機に「男子日本の若きエース」と呼ばれるようになった。張本は当時の自分を「がむしゃらにボールだけ見て試合をしていた少年だった」と振り返る。
「勝って当たり前」の重圧に晒され苦しんだ10代後半。
しかし、10代後半は勝って当たり前という重圧に晒され苦悩していた。
「海外で勝ってすごいと言われても、日本で負ければ『張本は勝てない』と言われて……。苦しくても耐えるしかなかった」と涙ながらに吐き出したことも。10代最後に出場した'23年の世界選手権での出来事だ。
「疑心暗鬼の時期」を乗り越え全日本王座に返り咲いた今年。張本は自他ともに認める文句なしのエースとして、2月16日開幕の世界選手権釜山大会に出場する。
今回の世界選手権は夏に迫ったパリ五輪団体の出場枠がかかった重要な大会だ。
パリ五輪団体の出場枠は決勝トーナメントで準々決勝に進出した8チームに与えられる。決勝トーナメントに進めるのは予選リーグ各グループの3位まで。しかし、決勝トーナメントを有利に戦うには1位通過が必須である。
日本が入った第5グループ5カ国・地域のうち、最も手強いのが台湾。エースは東京五輪男子シングルス4位の林昀儒。
張本の2歳上で、やはり10代の頃からエースの看板を背負ってきた林は張本と同じ、バックハンドが主体のプレースタイルだ。張本が右利き、林が左利きという違いはあるが、境遇が似ている2人は同世代のライバルとして意識し合ってきた。