Number ExBACK NUMBER
「実はレース途中で運営にキレたんです」…《19年ぶり日本新記録》大阪国際女子マラソンで“神ペースメーク”の新谷仁美が語る「まさかの真相」
text by
林田順子Junko Hayashida
photograph byL)Hideki Sugiyama、R)AFLO
posted2024/02/10 11:01
今年1月の大阪国際女子マラソンでは前田穂南が19年ぶりの日本新記録。30kmまで“神ペースメーク”を見せたのが新谷だった
だが課題は見つかったとはいえ、マラソンに向き合う覚悟はまだできていなかった。
「ベルリンから駅伝までの期間、練習を外すことはなかったんですが、上半身と下半身の動きが連動しないとか、むくんでいて体の循環が良くないとか、疲労が抜けないとか、しっくりこない状態が続いていて。そんな状態でなんとなく練習していたから、結果があんなことになった。
クイーンズ駅伝で区間賞は取れないし、都道府県駅伝でもあんな不甲斐ない走り(区間5位)をして。『絶対にここで結果を出す!』という決意でやっていたわけじゃなかったから、失敗に繋がってしまったんです。ただ一方で、練習はこなせていたので、『自分はだんだん結果を出せなくなっているのかな』と自信を喪失していたところもあって……。都道府県駅伝の後は、東京マラソンに出るのをやめようかなと思っていました」
転機は大阪国際の「ペースメーカー」
その想いに変化があったのは、大阪国際女子マラソンのペースメーカーがきっかけだった。
「この時期にペースメーカーを引き受けたのは、関西テレビの方がずっと私のことを推してくださっていたのと、私は海外合宿などもしないので、良いトレーニングになると思ったんです。不安はあったけど、受けた以上は、その思いに応えたい、東京はどうでもいいけれど、大阪だけはちゃんとしなくてはとスタート地点に立ちました」
新谷に任されたのは15kmから30kmまで、3分20秒ペースで引っ張るというもの。
野口みずきからは、3分20秒で30kmをペースメイクするきつさも教えられていたが、練習の一環として臨むため、あえてピークは合わせることはしなかった。
新谷の状態を把握していたコーチの横田は「あまりにきつければ途中で辞めてもいい」とアドバイス。新谷自身もペースメーカーの役割を遂行できないのであれば、選手の邪魔になるだけ……と、最悪途中で止めることも視野に入れていた。