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「スターダムの大ピンチ」にジュリアは何を思う? ホンネで語る“プロレスで一番大事なこと”「外野の声なんかほっとけ(笑)」《特別グラビア》
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/12/26 17:02
新日本プロレスのSTRONG女子王座のベルトを保持するジュリア。12月29日の両国国技館では同ベルトをかけてメーガン・ベーンと対戦する
ジュリアは日本人の母とイタリア人の父の間にロンドンで生まれた。日本で育った日本人だが、その世界観は環境を感じさせる。
「住みやすさ、生活のしやすさは日本ですね。治安はいいし、いくらか物価も安いし、おいしい食べ物もあるしトイレもきれい。日本ってすごいなぁ、と。どっちがいいか? 私は海外のいいところも悪いところも、日本のそれも知っているから。なかなか決められない」
「普通の試合をさせてくれ」と訴えた理由
一本のベルトに過ぎないのかもしれないが、ナイチンゲールから奪ったSTRONG女子王座はジュリアを大きく変えようとしている。
「STRONG女子は自分を変えたベルト。変えていくベルト。もともと海外で試合したいという願望はあったけど、『日本での女子プロレスの知名度を上げる方が先じゃない?』って思っていたんです。海外もいいけれど、日本でやりたい、と。でも、世界って広いじゃないですか。日本の中だけでは得ることはできない経験をすることができる。知識も。それを防衛戦でアメリカに行くことで学べた」
ジュリアは瞳を輝かせた。
「今みたいに新しいことを吸収している時って、すべてが学びだから。もっと学びたい。もっとレベルアップしたい。最終的に女子プロレスの後輩たちに伝えて、歴史をつないで残すために、海外の経験も活かせたらなあ、と考えています」
海外に出向いて、言葉の壁を感じることもあったという。
「語学もこんなにダメなのかってわかった。相手に思ったように意思が伝えられない。今まで何してきたんだろうって。10年くらい前に、マイアミに1カ月行ったことがあるんです。ちゃんと言葉を話せなくても友達が出来たし、買い物も行けちゃうし、『勉強しなくてもノリでいけるじゃん』って思ってた。もっと勉強したらよかったのに…! 30を目の前にして、英語の勉強を始めたんですよ。小さいとき両親は英語で会話していたのに、『どうしてあの時もっと……』って思いです」
日本語、イタリア語、英語が話せておかしくない環境にジュリアはいた。でも、日本での生活に英語もイタリア語もいらなかった。
11月18日の大阪府立体育会館、メインイベントとして行われた6人タッグの「マネーボール争奪トーナメント」が終わった後、「普通の試合をさせてくれ」とジュリアは訴えた。