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藤井聡太「天才に敗れた男たち」の痛恨…記者が新幹線の中で聞いた“渡辺明のうめき”「終盤力が違い過ぎる…」広がり始めた“恐れ”の正体
text by
大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/10/17 17:00
前人未到の八冠を達成した藤井聡太
「これは(藤井が)厳しい」ゆがんでいった陣形
ダブルタイトル戦は過密日程とも戦わねばならない。棋聖戦第3局の3日後、藤井は王位戦第2局を戦うために北海道の大地へ旅立った。飛行機に乗るのは、幼少期にやはり北海道へ家族旅行で赴いた時以来だった。「飛行機は久しぶりで緊張しました」と初々しいコメントも残した。
この将棋では木村の意地を見た。藤井の攻めをあえて引っ張りこみ、局面を落ち着かせてから反撃に出る。藤井の駒が押し込まれ、陣形がゆがんでいく。
「これは(藤井が)厳しい」
この日、控室で検討盤を挟んでいた立会人の深浦と副立会人の野月はそう断じた。
非勢の藤井が熟考に沈む。体をよじり、顔を将棋盤ギリギリまで近づける。脳内ではどれだけの速さで駒が疾駆しているのだろう。木村の様子の確認か、それとも無意識なのか、藤井は時折、ぼんやりと視線を上げる。高速で動いていた脳内将棋盤の残像があるため、眼の焦点はすぐに合わない。少しすると、自信ありげな対戦相手の姿が浮かび上がってくる。藤井はまたすぐに盤上の苦しい局面に視線を落とし、脳をフル回転させるのだ。
木村は「そうか」とかすれた声を出してうつむいた
追い込まれた藤井は勝負手を連発した。嫌味で迫り、木村を楽にさせない。
「この将棋は木村の物語になるはずだった。藤井さんに何もさせずに終わるはずだった」
そう漏らしたのは野月だ。木村の勝利はすぐそこまで近づいていた。
しかし、最終盤で痛恨の落手。ほとんどの時間をリードしていた木村は投了後、「そうか」とかすれた声を出してうつむいた。憔悴しているのは明らかだった。
対局翌日、藤井は大阪に向かった。次は棋聖戦第4局が待ち構えていた。勝てば最年少タイトル獲得となる一局だけに、対局場の関西将棋会館には報道陣が集結していた。
渡辺はこの将棋でも周到な作戦を用意していた。棋聖戦第2局の改良策でリードを奪ったのだ。藤井がその順を研究していないのは時間の使い方からしても明らかだったが、絶妙の対応で未知の局面へと渡辺を誘った。「あとは力の勝負です」。棋譜に刻まれた藤井の一手一手はそう語りかけていた。少しすると渡辺はAIのプラスの評価値をはたき、形勢逆転。そこからは藤井の筋書き通りに進んだ。渡辺は帰京の新幹線の中で、「終盤力が違いすぎる」と何度かうめいた。
「いままでもタイトル戦で負けたことはありますけど、今回の棋聖戦のような負け方をしたことはありません。負けた将棋はどれも、自分がまったく気づいていない想定外のことが起きまくっているんです」
渡辺が白旗を掲げるようなコメントをしたのを、私は初めて聞いた。
《後編につづく》
藤井聡太Sota Fujii
2002年7月19日、愛知県生まれ。杉本昌隆八段門下。'16年、前人未到のデビュー29連勝を記録。14歳2カ月での四段昇段を皮切りに、多くの史上最年少記録を樹立。2023年10月11日の71期王座戦にて永瀬拓矢前王座を下し、史上初の八冠全冠制覇を達成した。