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《2020阪神ドラ1》佐藤輝明の元ライバルは“アノ競技”の日本代表に?…パナソニック・桑田理介が語る“テルのすごさ”「2人で日本一になりたいですね」
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by(左)パナソニック インパルス/HUDDLE(右)Hideki Sugiyama
posted2023/10/19 11:01
仁川学院高時代は捕手を務めていた佐藤とエースだった桑田の2人。どちらも1年時から活躍を見せていた
「同じ野球部にいた時、高2くらいまでは『あいつの方が上手い』ということを認めたくない気持ちはありました。張り合っていたというか、ホームラン数の勝負とかもしていたんで。なんて言うんですかね……ここで負けを認めたら――自分が伸びなくなるような気もしていました」
ただ、3年生になった時、ホームランを量産する佐藤を見て「これはちょっと違うな」と感じてしまった。同時に「野球では勝てないな」と思うようになっていた。それは、桑田にとって野球選手としての「壁」を感じた瞬間でもあった。
その想いは、競技を決める上でも大きな理由となった。桑田は小学校3年生から続けた野球と決別し、アメフトという競技に足を踏み入れることを決断する。
「全然別の競技なんで、やっぱりすぐに上手くはいかなかったですよ。先輩たちは身体も大きいし、1年生の最初はなかなか試合も出られないし。『野球、楽しそうやなぁ』と思ったことも正直ありました」
関大アメフト部は関西学生リーグでも指折りの強豪チームだ。
2度の大学日本一経験を持ち、関西学院大学、立命館大学に並ぶ強豪校として常にリーグで優勝争いを繰り広げている。所属部員は100人以上。当然、選手は付属校をはじめ高校からの経験者も多く、そうでなくともほとんどがスポーツ推薦で入学したアスリートたちである。競技未経験、しかも一般入試で入学した桑田が活躍するのは、客観的に見ても至難の業だった。
競技変更でぶつかった壁…思い出された高校時代の佐藤の姿
一方で、そんな中でも関西学生野球リーグで1年生から大活躍を見せる佐藤の姿は試合のあるたびにSNSなどでチェックしていた。別の競技を選んだからこそ、そこへの負けん気もあった。同時に、そんな活躍を見ていると佐藤の高校時代の姿も思い出された。
「高校時代のテルは、何なら学校のメニューは体力温存くらいでやって、その後の身体づくりをガンガンやっている感じでした。授業の合間にもプロテインを飲んだり、あの当時では珍しく栄養補給もかなり意識してやっていました」
佐藤は自分に足りないものがフィジカルだと気付き、自分に必要なものを考えてトレーニングしていた。だからこそ、最終学年にあれだけ爆発的に伸びることができた。そんなことに気づかされた。