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甲子園の風BACK NUMBER
野村祐輔が当時の球審と交わした会話「あれはストライクです」…佐賀北と広陵“伝説の2007年決勝”の後日談「おれは死ぬまでボールというからな」
text by
安藤嘉浩Yoshihiro Ando
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/08/20 17:18
2007年、佐賀北との決勝戦で“微妙な判定”もあって涙をのんだ広陵・野村祐輔。2011年のドラフト指名後、当時の球審と電話で話をする機会があった
初球は外角低めのカーブを打って出てファウル。2球目は野村のスライダーが内角高めにすっぽ抜けた。ボールカウント1-1。
ここにきて、野村のスライダーが思うようにコントロールされていない。それでも、広陵バッテリーは3球目にスライダーを選択した。
ボールはほぼ真ん中に入っていく。副島のバットが、そのスライダーをとらえた。
鈍い金属音を残して、高々と上がった打球は左翼席の中段に飛び込んだ。
逆転満塁本塁打――。
マウンドの野村は後ろを振り返り、笑みを浮かべた。その感情をやはり、うまく表現することはできない。
「今までにない感情だったんじゃないですか、たぶん」
あの1球に悔いは残るか。ぼくらの問いには、きっぱりと答えた。
「同じ球を投げますよ。あのときはあの球しかなかったんで、ぼくには」
“あの日の球審”との会話「あれはストライクです」
後日談がある。
野村は広陵を卒業すると明治大学に進学し、東京六大学野球リーグで通算30勝をマーク。2011年のプロ野球ドラフト会議で広島から1位指名を受けた。
その直後のパーティーで、明治大学OBの審判員から声をかけられ、携帯電話を渡された。相手は、あの試合で球審を務めた桂等さんだった。
あいさつを交わすうち、ボールと判定された“あの1球”が話題になった。
「野村はどや、あのボールをどう思うとんのや」
「はい、あれはストライクです」
「それでいいんや。おれは死ぬまでボールというからな」
そんな会話を交わした。
「野球はそういうもんや」と桂さんは告げた。
ちなみに桂さんは関西大学OBで、関西学生野球リーグでも審判員をしていた。広陵の小林が進学した同志社大学も同リーグに所属しているため、桂さんと再会することになる。捕手と審判としての関係を続けながら、小林は高校時代の自分と向き合えるようになったのかもしれない。
劇的な逆転満塁本塁打を記者席で目の当たりにしたぼくは、すぐに携帯電話を手にとった。三塁側アルプス席で取材している「はま風」担当記者に連絡するためだ。
その記者は、頭の中が真っ白になっていたようだ。
「とにかく、すぐに広陵側の取材に行け!」
三塁側から一塁側へ、その記者は走った。
開幕日から用意していた佐賀北・水田亘の原稿は、最後まで日の目を見ることがなかった。今でも申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
報道陣の多くが似たような経験をしたと思う。ぼくらにとっても、忘れられない夏になった。
<前編から続く>