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「もし甲子園に出ていれば…」幻となった履正社”夏連覇の夢”「だったら最後に大阪桐蔭に勝とう」「強いイメージのまま終わりたかった」 

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釜谷一平

釜谷一平Ippei Kamaya

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photograph byNaoya Sanuki

posted2023/08/07 17:09

「もし甲子園に出ていれば…」幻となった履正社”夏連覇の夢”「だったら最後に大阪桐蔭に勝とう」「強いイメージのまま終わりたかった」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2020年の甲子園大会交流戦で星稜高校と対戦した履正社ナイン

「言葉が出ないし、かけてあげられませんでした。こんな経験は誰もしたことが無い。簡単な言葉でしゃべるのも違うし、『切り替えていこう』と言ったところで、『それは嘘だろう』と思うんです。この痛み、この喪失感は大人ではわからない」

 泣き崩れる保護者も出た。多くの親は、大西家や池田家のように、甲子園を本気で目指し、息子がまだ幼い頃から苦楽を共にして、夢を追いかけてきたのだ。

 大西が振り返る。

「子どもらはどれだけショックだったか。でも、本人が消化して進んでいくしかない。あえて話はしませんでした。妻もそれはショックを受けていましたけど、子どもの前では見せないように、いつも通り、何もなかったようにやっていました」

「だったら最後に大阪桐蔭に勝とう」

 一方、大西たち保護者会メンバーは休校期間中も動いていた。センバツの時と同様、他校と連携を取って嘆願書と署名を集め、監督を通じて高野連に提出。子どもたちにとって最後の夏だ。「せめて予選だけでも」という祈りを込めた必死の願いだった。

 かすかな望みが掬い取られたのは、6月に入ってからだった。6日、大阪府独自で代替大会を開催すること、続いて10日には、春のセンバツに出場する予定だった32校が出場する「甲子園交流試合」が行われることが発表された。

 一部の父兄以外は観客も、歓声もなし、仲間と共に高校野球を終える区切りとしての大会である。ただそうではあっても公式戦だ。勝負に飢えていた野球部員たちの気持ちを再び奮い立たせるには十分だった。

 池田が語る。

「みんなと何回も話をしました。どこにモチベーションを持っていくべきか。僕らは勝って、強いイメージのまま終わりたかった。だったら最後に大阪桐蔭に勝とうと」

 思えば2年前の夏、大阪桐蔭戦の衝撃から始まった学年だ。相手に不足はなかった。

 6月半ば。練習が再開されると、選手たちは互いの成長に目を見張った。シートバッティングでは投手陣の球が軒並み速くなっており、田上や内、高橋らが150kmに迫る剛速球を投げている。野手陣の身体も分厚くなり、打球に迫力が増していた。まるで練習の中断期間などなかったかのような充実ぶりだった。

「このチームなら、どんなに強い相手とやっても勝てる。自信がありました」(池田)

 はたして7月下旬に始まった独自大会では緒戦から圧倒的な内容で勝ち上がり、8月10日の準決勝で大阪桐蔭と対戦。9―3と圧勝し、夏の公式戦では1999年以来、21年ぶりに大阪桐蔭を破ったチームとなった。雨による順延続きのため、準決勝で大会が終了すると、5日後には甲子園での交流戦が待っていた。

「履正社の野球を見せてやろう」

 2020年8月15日。チームにとって最初で最後となる甲子園での決戦の相手は、前年夏に決勝を戦った星稜高校。その日はアップの時点から場に気迫が充満していた。

【次ページ】 「履正社の野球を見せてやろう」

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