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「ゴーンヌ」実況・近藤祐司は50m5秒台、垂直跳び103cmのアメフト名選手だった! 本人が明かす「アメフト部がないのでアメリカの高校に行きました」 

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寺島史彦(Number編集部)

寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima

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photograph byYuki Suenaga

posted2023/06/30 17:00

「ゴーンヌ」実況・近藤祐司は50m5秒台、垂直跳び103cmのアメフト名選手だった! 本人が明かす「アメフト部がないのでアメリカの高校に行きました」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

MLBや日本ハムの実況で名が知られる近藤祐司さん。放送席に座る前はアメフトをするためアメリカに渡ったバリバリのプレーヤーだった

「もちろん現実問題として体格差はあるんだけど、補うためにひたすら目の前の相手に向かってひたすらハードヒットです。もうミサイルになったつもりで相手に向かっていきました。当時のNFLで活躍していた49ersのロニー・ロットとブロンコスのスティーブ・アトウォーターというハードヒットで鳴らした名セーフティが僕のモデルケースでしたね。アメリカの面白いところは、プレーでチームに貢献しだすと、一気に認めてくれる。結果がすべてなんです。それがアメリカンスポーツの魅力でもあり、厳しさでもある。一緒にしてはいけないかもしれないけれど、はじめてメジャーリーグにいった日本人選手の状況も、多かれ少なかれ、同じだと思います」

カミカゼ・コンドー

 水を得た魚のようにハードヒットを繰り返すうち、いつしか、近藤さんに異名がついた。

“カミカゼ・コンドー”――。

「アメリカでは、いわゆる一軍に入ると、スタジャンを作ることができる。学校のワッペンをもらって、スタジャンショップに行って、背中にあだ名の刺繍を入れる。『トップガン』でいえば“マーヴェリック”です。僕は“オリエンタル・エクスプレス”とも言われていたんですが、一軍に入った時にコーチにつけてもらった名前が“カミカゼ”でした。『お前のタックルはカミカゼだ』と。あの『KAMIKAZE』という刺繍の入ったスタジャンは一生の宝物です」

立命館大で河口正史と出会う

 高校で頭角を現したカミカゼ・セーフティには、パロマー大という短大のアメフト部からの誘いもあったものの、帰国を決断する。「やっぱりオレゴン大とか、USC(南カリフォルニア大学)に行った奴とかを見たら、大学のトップクラスでやっていく自信は当時の自分にはまだありませんでした。それに、たまに両親に電話する以外、日本語はほとんど喋っていませんでしたからね。日本に帰りたい、というのもありました」。英語で受験することができ、京都にある大学。そしてアメフトの強豪。自然と進路は立命館に絞られた。

 無事に合格通知を得て、アメフト部の顔合わせとなる入学前の2月、同志ともいうべきひとりの“同級生”との出会いがあった。のちに日本人として初めてNFLのプレシーズンマッチに出場したプレーヤーとなる、河口正史である。

<続く>

#2に続く
「成績不良で放校処分」の“ギャング”河口正史と共闘で大学アメフト日本一に、“ゴーンヌ”実況・近藤祐司が振り返る「“NFL選手”の夢を諦めるまで」

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