草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
名古屋球場が大火災! 逃げ場を失い次々に飛び降りる観客を選手たちが抱き止めて…「フォークボールの神様」杉下茂さんが語ってきた歴史と野球への想い
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/18 11:04
中日キャンプには毎年のように駆けつけ投手陣に温かい言葉をかけていた杉下茂さん
グラウンド経由で開放したバックスクリーンから脱出したようなのだが、両チームの選手たちは逃げるのではなく勇敢に誘導役を買って出たそうだ。
4人死亡、300人超が重軽傷の大惨事
当時の報道によると、重軽傷者は300名以上。4人が命を落とした。フランチャイズを失ったドラゴンズは、残り試合を周辺の球場を転々としながら戦った。しかし、杉下氏の記憶に残っていたのはそうした苦しい日々よりも、再び歩き始めた日のことだった。
「あの日はすごく天気のいい日でね。まさしく野球日和でした。たしか、球場はまだできあがってなかったんじゃないかな。中は立派だけど、外から見れば全然でしたもの。それでもね、犠牲になった方、ケガをした方たちのことを思えば、自分たちがしっかり野球をやらなきゃいかん。そんな気持ちになったことをよく覚えています。私たちは火事の次の日に、病院にお見舞いに行っているんですが、みんな目が真っ赤に充血していて、怖い思いをしたんだなと思いましたから」
翌52年4月5日、再建された球場で初めて投げたのも、やはり杉下氏だった。同じ巨人戦、相手投手も同じ別所毅彦。8月に焼け落ち、11月に着工してからわずか5ヶ月の突貫工事だったと記録されている。証言にあるようにまだ工事が残っている中での試合だったようだが、惨劇を教訓とし、鉄筋コンクリート造りの新球場に生まれ変わった。
その試合には超満員の観客が詰めかけたという。球場には祭壇を設け、火災発生と同じ時刻に試合を中断し、黙祷を捧げた。