草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
名古屋球場が大火災! 逃げ場を失い次々に飛び降りる観客を選手たちが抱き止めて…「フォークボールの神様」杉下茂さんが語ってきた歴史と野球への想い
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/06/18 11:04
中日キャンプには毎年のように駆けつけ投手陣に温かい言葉をかけていた杉下茂さん
「フォークは好きではなかった」の理由
フォークボールの元祖であり、いつしか「フォークの神様」と呼ばれた。それなのに「フォークは好きではなかった」という言葉も聞いたことがある。その理由もまた、すごかった。
「だって私は川上(哲治さん)をど真ん中のストレートで三振にしたかったんだもの。他の打者じゃフォークを投げてもバットに当たらないからつまらない」
フォークの神様の本心は、打撃の神様に全力のストレートで勝負したかったのだ。いささかも不遜だとは感じない。野球が好きな、慈愛に満ちたレジェンドであった。球場が再建された52年に32勝、2年後に再び32勝を挙げ、球団創設以来初めての優勝へと牽引する。
多くの球団がエースナンバーを18とする中、ドラゴンズが20なのは杉下氏がつけていたからだ。そこから権藤博、星野仙一、小松辰雄と受け継がれていった。現役最晩年は兼任監督を務め(登板はなし)、最後の1年(1961年)は大毎で4勝を挙げた。他球団での引退となったためにタイミングを逸したが、本来なら永久欠番である。そうなればその後の球団史も大きく変わっていたかもしれない。
近年は口癖のように「リーグ優勝して日本一を勝ち取ったのは、昭和29年だけなんだから死ぬまでにもう一度、見てみたい」と話していた。その思いはかなわなかったが、最期まで野球界とドラゴンズを気にしていたという。フォークの神様、どうか安らかに。
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