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ナイスネイチャを「どの馬よりも強い」と信じた名物厩務員がいた…有馬記念3年連続3着の“神業ブロンズコレクター”はなぜこれほど愛されたのか?
posted2023/06/03 17:01
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Tomohiko Hayashi
1991~93年の有馬記念で3年連続3着になるなど、個性派として人気を博したナイスネイチャが、5月30日、繋養先の浦河・渡辺牧場で死亡した。35歳だった。
存命中のJRA重賞勝ち馬としては最高齢だった。サラブレッドの馬齢を人間の年齢に換算するには、3か4を掛けると言われており、人間なら100歳を超える大往生であった。
名物厩務員がナイスネイチャに注いだ愛情
1990年12月の旧3歳新馬戦でデビューしてから、ラストランとなった96年のアルゼンチン共和国杯まで、足かけ7年にわたって通算41戦7勝、2着6回、3着8回。4着以下は20回と、キャリアの半分以上は3着以内だった。獲得賞金は6億円を超えており、掛け値なしに一流と言える成績をおさめた。
しかし、GIでは16戦0勝、2着0回、3着4回と、勝ち切れなかった。3着が多かったので、しばしば「ブロンズコレクター」と呼ばれた。
同じく大舞台で2、3着の多かったステイゴールドは、調教助手時代に関わっていた池江泰寿調教師が「肉をやれば食うんじゃないかと思うほど凶暴だった」という気性が、能力の発揮を妨げていた。左にモタれると楽ができることをわかっていて、つねにモタれるチャンスをうかがっていたのだという。
ナイスネイチャもそういうタイプだったのかと思いきや、関係者の証言によると、おだやかな性格だったようだ。本当にそうだったのかと、パドックでの歩き方など、この馬についての記憶を辿ると、栗東トレーニングセンターで見た、ある光景が蘇ってくる。
正確な日時は覚えていないのだが、1990年代前半のことだった。調教スタンドの1階の椅子に腰掛けた中年の厩務員が、周りを囲む記者たちと話していた。20代後半だった筆者も取材者の輪に加わった。
「この前だって、展開にちょっと味方されれば勝ってたよ」
「仕掛けどころひとつで、絶対こっちが1着だった。いやあ、惜しかった」
「次はまず負けない」
といったように、その厩務員は、自分の担当馬が走ったGIや次走に関して、強気の言葉を、特定の誰かに向けるわけではなく、発しつづけていた。
誰なのか知らずにそこにいた私は、彼が立ち去ったあと、顔見知りの記者に「誰ですか」と訊くと、「ナイスネイチャの馬場さんだよ」と返ってきた。
松永善晴厩舎でナイスネイチャを担当する馬場秀輝厩務員だったのである。