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「カズ、戻れ!」松木安太郎35歳が“最強ヴェルディ”を作るまで…スター軍団ゆえの衝突、北澤豪と武田修宏が回想したホンネ
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/05/15 11:01
1993年開幕直後のヴェルディ川崎。まさに当時の最強チームだった
ネルシーニョがもたらしたものとは
結局夏までにマイヤーとハンセンは帰国し、代わりにブラジル代表歴を持つ23歳のビスマルクを補強。バルコムも「不要ならそう言ってくれ」と潔く退き、オランダ色は1年間で一掃された。後年武田は、当時を振り返るマイヤーのインタビュー記事を目にしている。
「ブラジルスタイルのヴェルディで、話してくれたのは武田と都並(敏史)だけだった、と言っていました」
Jリーグ初ゴールを決めたマイヤーも、チームメイトが快く仲間だと受け入れる実力を示すには至らなかった。
そして'94年夏にはネルシーニョがヘッドコーチに就き、チームは連覇へと加速していく。戦略、人心掌握ともに長けた知将は、時には黒板を蹴飛ばしながら選手たちを叱咤する熱さも持っていた。
「守備のための守備ではなく、こういうボールの奪い方をすれば、こんな攻撃に繋がるというコンセプトを持ち込み、それはみんなが欲しがっていたものでした。だから誰もが守備に一生懸命取り組むようになり、必然的に切り替えも速くなった。若手も次々に使われ始め、途中からは変則3バックも導入されました」(北澤)
「広島とのチャンピオンシップでは、初戦を終えて僕もラモスさんも肉離れで1週間練習を休んだ。でも2戦目はスタメンで使ってくれた。それがループシュート(ラモス)の決勝点に繋がったんです」(武田)
サバイバルこそがヴェルディの掟
人気、実力ともに突出して、年俸は世界でベスト10入りのカズ、ラモスを筆頭に1億円プレイヤーが目白押し。だが若手が購入した高級車には、土がかけられカラーコーンやバスマットがのせられた。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。