草創期のリーグで圧倒的な人気を誇ったスター軍団。歴史に名を刻んだ初年度優勝、そして連覇の裏には、激しいぶつかり合いの末に生まれた革新と転換があった。(Number1004号掲載)
選手投票 第5位
よみうりランドに隣接する天然芝には、早くからプロの摂理が根づいていた。
高校屈指のストライカーだった武田修宏は、Jリーグ開幕の7年前に読売クラブ(現東京ヴェルディ)に入団した。
「高卒で一緒に入った3人の仲間が翌年にはクビになる。練習はいつもピリピリしていて殴り合いに近い喧嘩もある。試合では勝てば10万円、引き分けが5万円で負ければゼロ。19歳には衝撃的でした」
武田はJSL(日本サッカーリーグ)1年目で11ゴールを挙げ、新人王と年間最優秀選手に輝くが、その後も張り詰めた心が緩むことはなかった。
「カズ(三浦知良)さんという絶対的な存在が来たのでFWは残り1枠。いつも外国人選手とのポジション争いで必死でした。それにチームにはラモス(瑠偉)さんというピッチ内外を掌握する“監督”がいた。試合に負けたのにテレビに出演すると、調子に乗ってるんじゃねえぞ! と後から叱られました」
北沢豪は本田技研からの復帰組。
また読売ジュニアユースの一員として中学生時代を過ごした北澤豪は、本田技研でJSLの得点王を獲得し、1991年に日本代表選手として“復帰”して来た。
「でも誰もパスをくれない。逆にボールを持つとサブ組の選手が必死に奪いに来る。誰もオレに良いプレーをさせようなんて思っていませんでした(笑)」
暫く途中出場が続く北澤だが、移籍してきた夏のJSLカップ決勝で古巣本田のゴールに優勝を決める4点目(4-3)を蹴り込むと、GK菊池新吉に言われた。
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photograph by Kazuaki Nishiyama