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「カズ、戻れ!」松木安太郎35歳が“最強ヴェルディ”を作るまで…スター軍団ゆえの衝突、北澤豪と武田修宏が回想したホンネ
text by
加部究Kiwamu Kabe
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/05/15 11:01
1993年開幕直後のヴェルディ川崎。まさに当時の最強チームだった
選手の意見を尊重するようになった松木
だがここからキャラの立つ個人事業主たちが真骨頂を見せつける。北澤が言う。
「ヴェルディには“おまえならどうするんだよ”と聞かれて、自分の考えを持たない選手は一人もいなかった。もちろん監督も問題を提議しますが、いつもピッチ上ではディベートがあり、選手同士で話し合って互いの居場所を整理し折り合いをつけていきました。大人のチームで相手を読み取る力も備えていたので、戦況次第では途中で守備のやり方を微調整し、やばいなと思えば完全に引いてしまうこともありました」
一方で松木もそんな選手側の意見を尊重し、柔軟に歩み寄る姿勢を示すようになった。再び北澤の証言である。
「最初は提示される内容に、それって難しくないか? とギャップを感じることが多かった。でも松木さんも巧くて、自分が話したことと真逆の結論でも“じゃ、それで行こう”と言うこともあった。後期途中からはギャップも埋まりました」
実は守りのチームだった
松木は1-0で勝てるチームを標榜し、実際'93年から指揮を執った2年間は「守りのチームだった」と断じる。守備に細心の注意を払うから、こんなやり取りもあった。松木がベンチから叫ぶ。
「カズ、戻れ!」
「だって試合前には、戻らなくていいって言ってたでしょ」
「いやいや状況が状況なんだから」
本来攻撃的なMFの北澤を「守備力がつけば代表でも中核になれる」と、SBに挑戦させたこともあった。
こうして'93年後期は18試合中10試合を無失点で終え、7試合を1点差で競り勝った。鹿島とのチャンピオンシップも制して終わってみれば順当勝ちだが、読売時代と比べて危うさが薄れ勝負強さが際立った。さらにシーズン途中には米国ワールドカップへの出場権を土壇場で逃す「ドーハの悲劇」を経験し、代表勢の目線がアジアから世界へと変わった。