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ダルや由伸にピタッ…侍ジャパン最年少20歳高橋宏斗の“グイグイ”いける才能 「吸収しすぎてパンクしないか心配」恩師が驚く成長曲線
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/03/06 17:03
今回の侍ジャパンで最年少の選出となった高橋宏斗(20歳)。人懐っこい性格で、経験豊富な選手たちの中でも存在感を発揮している
高橋監督が初めて宏斗を見たのは豊田リトルシニアでプレーしていた中学時代のこと。以前に5歳上の兄・伶介さんを視察していたことも大きかったが、そこで宏斗は兄以上にセンスのいい動きを見せた。
「周囲からセンスの高さなどは(兄と)真逆だと聞いていて。お兄さんは練習にまじめに取り組むけれど、弟はわんぱくなところがあるから、そこまで期待しない方がいいみたいな話も聞いていたんですよ(笑)。でも、高校入学してからの練習を見ると全然そんなことはなくて。本人はおそらく高校では変わらなきゃと思っていたみたいで、どんなことにも真面目に取り組んでいました」
良い意味で期待を裏切られた形となったが、実際にブルペンに立っても勢いのあるボールを投げていた。入学後、わずか1カ月後の5月にはB戦で登板するようになり、その時からすでにストレートは140キロ近くまで到達していたという。
「ですので、早い段階からAチームに帯同させて色んなことを経験させていきたいと思いました。うまくいけば3年生になってエースになれる資質はあると。正直、入学直後はそう思わなかったのですが、練習は一生懸命するし、先輩には色んなことをどんどん質問していけるところも当時からあったので期待は大きかったです」
心が折れた甲子園中止…それでも154キロに
宏斗は1年夏から公式戦でベンチ入りし、中継ぎでマウンドも経験。2年秋からエース番号を背負い、明治神宮大会では優勝投手になった。
この頃から「高橋宏斗」の名は全国区にまで広がったが、3年時は新型コロナウイルス感染拡大の影響で出場決めていたセンバツ、さらには夏の甲子園も中止となり、大舞台に立つ機会が奪われた。もし、例年通りに甲子園が開催されていたらどんなパフォーマンスを披露していたのだろうかーー当時のことを思うと、今でも指揮官は複雑な思いでいっぱいになる。
「センバツが中止になって、前を向き直したら夏の甲子園も中止になって、2度も心が折れそうになりましたからね。4、5月は学校が休校で、6月は分散登校。7月にようやく学校が始まったのですが、当時は複数人が集まって練習するのは禁止。でも、宏斗は近所の仲間数人で練習していたみたいなんです。
実は7月に、県の独自大会直前に(同じ愛知の)愛工大名電高校との練習試合で152キロを投げたんですよ。休校になる前よりもスピードを上げていたので、休みの期間も心折れることなく自分でしっかり練習してきていたんだなと思いました」
センバツの代替大会として開催された甲子園高校野球交流試合では154キロを計測。秋のドラフト会議の目玉になるのではという声も聞くほど、注目を集めていた。
しかし、宏斗はプロ志望届を出すことを明言せず、兄を追って慶應大のAO入試を受験した。高橋監督は当時を振り返る。