野球のぼせもんBACK NUMBER
「ノムさんが呼んどるぞ」10年前、門田博光が初めて語った“野村克也への後悔”「寂しい背中で部屋から…」噂と違った“カドタの実像”
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph bySports Graphic Number
posted2023/01/28 11:00
プロ野球歴代3位の通算567本塁打を放った門田博光。1988年シーズンは40歳で打率.311、44本、125打点の成績を挙げて“不惑の大砲”と呼ばれた
自分はまだ22歳の新人で、もちろんホームランも0本。そんな男が日本のホームランの1位と2位の人たちを相手に、なんてことを言ってしもうたんや……と。だから、その時に決めたんや。野球を辞めるまでに絶対に、この2人の間に入るか、3番目に名を連ねるまでホームランを打つんやと。あの2人の背中を『寂しい背中』と思わなかったら、たぶん200か300本塁打の選手で終わっとったでしょう。それが23年間の源や。他の人には分からへんでしょう、こんな気持ち。どれほど、心が痛んだか……」
「誤解されながらずっとやってきたんだから」
門田さんは誓ったという。打たないと、許してもらえない。自分の性格が変わってしまうほど頑固や意固地になろうとも、打って、打って、打ちまくって王と野村の背中に近づかない限り自分は負けてしまうのだ、と。
「周りの人にすればワケの分からない論理ですよ。でも自分はそう思い込んでいた。アホな悲しい、つらい時代もありましたよ。そりゃそうですよ、誤解されながらずっとやってきたんだから。社交性なんていらないと思ってた。体格にも恵まれていない自分がわずかでも隙を作ったり、一つでも崩してしまったら修正が利かないと思ってた。バカになれない。バカになれば楽になるのにね。だから人生疲れるし、しんどかった。嫁さんや子供にも嫌われるし、自分自身も嫌いになる。
インタンビューしてくるマスコミの人にも悪かったと思うよ。もうちょっと柔らかく接してあげればよかったけど、それは出来なかった。でも、当時そうやっていたから567本のホームランを打つことが出来たと思っています。プロ野球はそれだけ微妙な、ほんのわずかな差が分かれ目になる世界なんですよ」
あの日見た“本当の門田博光”
筆者は今年でプロ野球取材も22年目。数々の現役スターもしくはレジェンドと呼ばれる方々と会う機会に恵まれたが、門田さんの、唯一無二の深い言葉から、人生の不可思議さを教えてもらったように思う。
インタビューの約束は1時間程度だったと記憶している。だけど、その時間をオーバーしても門田さんはいろいろなエピソードを披露し続けてくれた。なかには当時の暴露話もジョーク交じりに語ってくれた。
「せっかく来てくれたんやから、たくさん笑って福岡に帰ってもらわんと(笑)」
取材が終わり、建物の外までお見送りしようとすると、「ここ(部屋)でええよ、雪が降っとるからな」と制された。取材を行ったのは6月。帰る間際までジョークを飛ばして、我々取材クルーを気遣い、現役時代には隠し続けていた“門田博光”を見せてくれていた。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。