Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「イチローに欠点あり」ノムさんが日本シリーズで仕掛けた“インハイ心理戦”「彼はまだ若かったし、腹が立ったんでしょうね」
posted2022/10/25 11:01
text by
日比野恭三Kyozo Hibino
photograph by
Sports Graphic Number
恵比寿駅から歩いて2分、雑居ビルの2階に昭和歌謡曲バー「m-129」はある。巨人で長くリリーバーを務めた角盈男が開いた店だ。店名の由来はロッテ(m=マリーンズ)に入団した二男・晃多が最初にもらった背番号。バー店主であり、プロ野球選手の父となった男は、メモ帳を片手にカウンターから出てきて取材に応じてくれた。
1995年――。当時、角はヤクルトの投手コーチだった。野村克也監督、古田敦也捕手の頭脳派師弟をただ一人の投手コーチとして脇から支え、2年ぶりのリーグ優勝に貢献。1月に発生した阪神・淡路大震災の復興のシンボルとしてパ・リーグを制したオリックスと日本一を争うことになった。
いろいろ調べてみて分かったのは、欠点がない
日本シリーズ開幕前のスポーツ紙には「イチローvs.古田」の見出しが躍った。前年に210安打を放ち、この年も首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率とタイトルを総なめにしたイチローが敵方のキーマンであることは明らかだった。
角が流暢に語り始める。
「いわばヤクルト対イチロー。彼を抑えられるかどうかがこのシリーズの全てと言ってよかった。では、どう攻略するのか。いろいろ調べてみて分かったのは、欠点がない、ということでした」
そして、手にしたメモ帳にタテ長の長方形をまずひとつ描いた。
「これはストライクゾーン(A)。普通のバッターのヒットゾーン(B)は、Aの内側にありますよね。Bよりも厳しいコースはいわゆる凡打ゾーンです。ところがイチローは、この凡打ゾーンどころか、Aよリボール1個分広いところ(C)までがヒットゾーンだったんです。残っているのは、さらにその外側。これは俗にいうクソボールで、振るはずがない」
そこで野村監督は考えたわけですよ
メモ帳の長方形は3重になっていた。内側からB、A、C。角はCの左上のカドをグルグルと丸で囲み、こう続けた。
「イチローに限らず、どんな大打者であろうと、バッターというのはココ(インハイ)が一番苦手。ウチにはブロス、石井(一久)、吉井(理人)という145kmクラスの速球を投げる投手もいる。何とかしてイチローに手を出させたいけど、ただそこに投げたってクソボールですから振るはずがない。そこで野村監督は考えたわけですよ」
野村と角は、TV、新聞、ラジオ、あらゆるメディアに出演した。そして「イチローに欠点あり」と、ことあるごとに連呼したのだ。