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「ハニュウは別世界に行った」人気コラムニストが語る、羽生結弦の“アメリカでの可能性”「この国でフィギュアはスポーツというよりも芸術」 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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posted2022/08/26 11:00

「ハニュウは別世界に行った」人気コラムニストが語る、羽生結弦の“アメリカでの可能性”「この国でフィギュアはスポーツというよりも芸術」<Number Web> photograph by Getty Images

2016年、アメリカ・ボストンで開催された世界選手権での羽生結弦

男子フィギュア史上最高の“2人の選手”

 ハーシュ氏は、羽生は男子フィギュアスケート史上のベスト選手2人のうちの1人だ、と言う。もう1人は1948年と1952年にオリンピックを連覇した、米国のディック・バットンである。「当時のバットンはジャンプにおいても先駆者で、世界選手権を5回制覇した。2人には多くの共通するものがあるんです」。

 バットン氏は当時世界で初めて2アクセルを成功させ、そして世界初の3回転である3ループを着氷した選手でもある。もっとも違う時代の名選手を比べること自体難しく、「ルドルフ・ヌレエフと現代のバレエダンサーを比べるようなもの」とハーシュ氏。

 余談になるが、筆者は2017年夏に日本の某新聞記者がニューヨークでバットン氏のインタビューをした際に通訳を依頼されて同行し、彼が平昌オリンピックを控えた羽生に向けて「オリンピックの体験を楽しんで」と自筆のメッセージをしたためた現場に同席したことがあった。羽生はその半年後、バットン氏以来66年ぶりに五輪を二連覇した男子選手になったわけである。

「この国ではフィギュアはスポーツというよりも芸術」

 羽生のアメリカ社会での一般的な人気は、どのくらいのものなのか。改めてハーシュ氏に客観的な意見を聞いてみた。

「例えば1998年長野オリンピックでイリヤ・クーリックが金メダルを取った後、アメフトのスタジアムに行って10万人の観客に長野の男子金メダリストの名前を聞いても、恐らく知ってると答えた人は皆無だっただろうと思うんですよ。アメリカではミシェル・クワンが競技引退をして以降、フィギュアスケートの人気は衰退していきました。この国ではフィギュアスケートはスポーツというよりも芸術として見られる部分が大きいため、女子のスターが必要なのです」

 まず米国のフィギュア人気の現状をそう説明する。

「特にハニュウの場合、アメリカで開催された大会に出たのは、まだあまり知られていなかった2012年のスケートアメリカと、2016年のボストン世界選手権の2回だけでした。私自身、何度かクリケットクラブに行ってブライアンを通して個別インタビューを申し込みましたが、残念ながら許可が降りなかった。ニューヨークタイムズのジェレ・ロングマンもハニュウの記事を書くためには、コーチなどの周辺取材でまとめるしかありませんでした。

 そのような事情もあって彼はアメリカではあまりメディアで紹介されておらず、アメリカのスポーツ界全体から見ると、特に大きなインパクトは与えていません。でもフィギュアスケートファンの間では、もちろん有名ですし人気があることは間違いないでしょう」

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