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村上宗隆(22歳)はなぜ1度しか甲子園に出られなかったのか? 高校恩師が明かす原点「中3夏までムネのことはぜんぜん知らんかった」
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph bySankei Shimbun
posted2022/08/05 11:03
2017年のドラフト、ヤクルトから指名(外れ1位)を受け、チームメイトから祝福される九州学院高時代の村上宗隆
「あの年は、春のセンバツにも出ていた年ですから、3年生中心のいいチームでした。そこにムネが入ってきて、3年生には『夏を勝ち抜くためには1年生のムネが必要になる。ムネがのびのびプレーできるよう、3年生が頑張らんね』と話していたんです」
熊本県大会を勝ち抜き、甲子園へ。残念ながら初戦敗退となってしまったが、坂井は村上の将来を見据え、1年生の秋に一塁手から捕手へとコンバートする。
「捕手として配球を勉強すれば、それが打席にも生きると思ったんです。相手投手の心理を読みながら、狙い球を待つ。ムネは研究熱心だったし、その過程で自分がどう見られているか、客観的に観察する眼も養われたんじゃないかな」
「ムネ、内野ゴロを打ったらいかん…」
村上の1年後輩で、サイドスローからの制球力を武器に2年生から九州学院のエースだった田尻裕昌は、村上と一緒に相手打線を研究するために多くの時間を費やしたという。
「熊本県内のライバル、秀岳館、文徳の打者の傾向は、宗隆さんと一緒に映像でずいぶん研究しました。宗隆さんは、ずっと打者の内角を攻め続けたり、結構面白いリードをするキャッチャーだったんです」
生来のパワーに加え、捕手としての読みが加わった村上の打撃は、九州学院の3年間で大きく成長した。それは坂井が意識してフライボールヒッターへと育てたからでもあった。坂井は村上にこう指導していた。
「ムネ、内野ゴロを打ったらいかん。そのかわり、内野フライになってもいいけん、球にスピンばかけて、遠くへ飛ばすイメージして打て」
失敗を恐れず、その先にある大きな収穫をイメージしていたことが、プロの生活につながったのではないか。それが数年後の5打席連続本塁打へもつながった気がする。
「今度は内側のストレートが来るだろうな」
5打席連続本塁打が飛び出した7月31日のタイガース戦、8月2日のドラゴンズ戦を振り返ってみると、最初の本塁打はサウスポー渡邉雄大のスライダーを仕留め、1点差を追う9回表の打席では、クローザーの岩崎優の配球をこう読んでいた。
「さっきの打席、ホームランを打った球は外角のスライダーだったので、今度は内側のストレートが来るだろうなと」