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「胸元から乳首が見える写真を狙われ…」キューティー鈴木52歳が語る、アイドルレスラー時代の“性的画像被害”と過酷な生活「月給は8万円」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byTakuya Sugiyama/AFLO
posted2022/05/19 17:01
現役時代の“性的画像被害”などについて明かしたキューティー鈴木
――なるほど。芸能活動が多忙になったのはジャパン女子時代だと思いますが、そもそも人気が爆発したきっかけって何だったんですか。
キューティー 「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)です。あの番組を観た業界の人たちが、仕事を依頼してくれた……らしい。その時期にちょうど芸能事務所の人がプロレスを観に来て、「次はどの子を売りだそうか」となったときに、「あの子がいいんじゃない?」って私を指してくれたらしいです。そこからビデオを撮って、そしたら、ビデオの宣伝で雑誌に出て、CDを出してっていういろんなことが重なった。
超売れっ子だったのに「月給は8万円でした」
――売れっ子になっていく過程を、当の本人はどのように痛感するんですか。
キューティー 当時の事務所が(東京都)金町っていうところにあって、仕事があるときは事務所集合なんです。前日に「明日は〇時に事務所に来て」っていう連絡が入るんですけど、気がついたら毎日になってた。「私服を持ってきて」「化粧をしてきて」とか。事務所の担当者がおじさんだったんで、「ジーパンは禁止」って、それはあなたの好みじゃないの?っていうのもあった(笑)。ふだん着るのはジャージだし、私服はジーパンしか持ってない。買うお金もないので、何回かお兄ちゃんの彼女に洋服を借りてました(笑)。
――そんなにお金がなかった?
キューティー 寮を出てひとり暮らしをしてたころなんですけど、月に8万円ぐらいだったかなぁ。
――東京都内に住んで月給8万円では、生活できないでしょ。
キューティー 亀有っていう、都内でもちょっと奥に友だちと住んで、家賃は折半。食べることに困ったときはお母さんに来てもらって、一緒にスーパーに行って、大量に買ってもらって、「バイバイ」って(笑)。おこづかい的なものも、ちょこちょこもらってた気がします。
――そんなに困窮しているのに、芸能の仕事は服が自前って矛盾してますね。
キューティー いつも言ってたのは、「メイクは自分でやるけれども、せめてスタイリストさんを付けてほしい」と。そうすると、「経費を節約したい」どうのこうのって、結局最後まで付けてくれなかったのに、「ズボンをはいてきて」「スカートにして」「この色とかぶらないで」って注文だけが多い。よくケンカしてました。1週間、口きかないとか(笑)。
<#3へ続く>
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