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「え、ロッテって幕張じゃないの?」東北新幹線から見える“ナゾの野球場”…佐々木朗希も修行した二軍球場、最寄り駅はどこ? 現地に行ってみた 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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photograph bySankei Shimbun

posted2022/05/10 17:30

「え、ロッテって幕張じゃないの?」東北新幹線から見える“ナゾの野球場”…佐々木朗希も修行した二軍球場、最寄り駅はどこ? 現地に行ってみた<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2019年ドラフト1位でロッテに入団した佐々木朗希。写真は翌年1月、ロッテ浦和球場での新人合同自主トレで

 実際、ロッテの工場の脇を抜けていくと緑の外壁に覆われた室内練習場や、ごくシンプルな野球場が見えてくる。この野球場がロッテ浦和球場。二軍の試合もここで行われる、れっきとしたプロの野球場だ。だからもちろん、佐々木朗希もこの球場で練習をしてきたのだ。

 最初はロッテ=浦和という関係にピンとこなかったが、かくのごとく武蔵浦和はチョコレート工場もあるような、まさにロッテの本拠地。むしろお菓子ガチ勢の皆様からすれば、マリーンズの本拠地が幕張にあることのほうが違和感があるのかもしれない。

ロッテ浦和球場がなかったかもしれない話

 この町とロッテの関わりの歴史は古く、工場が開設したのは1964年。いまから60年近くも前のことだ。そしてこのときには、まだ武蔵野線も埼京線も、もちろん新幹線も通っていなかった。古い地図や航空写真を見ると、その頃の武蔵浦和は、田畑ばかりの田園地帯であった。なぜここにロッテが工場を設けたのか、定かなところはわからないが、東京からもそれなりに近く、それでいて広大な土地が確保できるため都合が良かったのだろう。

 ただ、工場ができても周囲が都市として開発されるには時間が必要だった。1973年には武蔵野線が開業するも、このときにはまだ駅は設けられていない。1985年に埼京線が開業し、ようやく武蔵浦和駅が開業。そしてほぼ時を同じくして東北新幹線も通る。

 埼京線は今やなくてはならない、というか首都圏の通勤電車の中でもかなり混んでいる路線のひとつになっている。だが、意外なほど歴史が浅い。東北新幹線の建設に沿線の人たちが激しく反対したために、“見返り”として建設されたという秘話もある。当時の国鉄はあからさまには見返りとは言わず、「埼玉県南の人口集中・交通事情を勘案すると将来の採算性もいいので建設する。ただ、それが副次的に新幹線建設の促進につながる」と持って回ったような言い方をしている。

 そしてこの埼京線建設時、車両基地を設けるにあたってロッテの浦和工場の敷地を買収して転用しようとしたこともあったとか。結局それはロッテ側の合意が得られず、まだ非電化だった川越線を電化させて直通運転を行い、川越線沿線に車両基地を設けることになった。もしもこのとき、工場が車両基地になっていたら浦和球場もなかったということになる。

【次ページ】 もし急に一軍に呼ばれても…海浜幕張駅まで約1時間

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