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「横綱が胸を出したら、力士の頭が割れた」“鉄板のように硬い”千代の富士に18歳貴花田はなぜ勝てた? 《寺尾が語る昭和と平成の大横綱》
posted2022/05/12 11:02
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
JIJI PRESS
少年とは本来、大志を抱く生き物である。
サッカー小僧であれば、ワールドカップに出たい、チャンピオンズ・リーグでプレーしたい。野球少年であれば贔屓のチームやメジャーでの活躍を夢見るだろう。その無邪気さゆえ、あるいは無知の強さゆえ、子供たちは大人であればすぐに諦めるような高みを思い描くことができる。
後に錣山親方となる少年は違った。
「入門したときの目標は、雪駄を履くこと、でした。三段目になれば雪駄を履くことが許される。だから、何とかそこまでいけたらいいな、と」
彼は無邪気だったかもしれないが、無知ではなかった。相撲部屋の三男として生まれ育った彼は、これから飛び込む世界がどれほど過酷で、どれほど多くの怪物がひしめいているのかを知っていた。入門した少年たちのほとんどが最初の目標とする関取、つまり十両でさえも、当時の寺尾少年にとっては目の眩むような存在だった。
「三段目になってからはコートを着ることが目標になりました。幕下です。そうやって一歩一歩目標をあげていったんです」
「主役にはなれない、と答えた記憶がある」
すでに角界に身を投じていた2人の兄に続けとばかり、寺尾は順調に出世の階段を駆け上っていった。だが、少しずつ大きくなっていった彼の夢は、途中から膨らむことをやめた。
「新入幕のときだったかな、相撲雑誌のインタビューに『名脇役になれればいい。主役にはなれないと思うので』と答えた記憶があります。それが、自分にとっては相撲界で最高の目標でした」
身体を大きくするスペシャリストの揃った相撲部屋の日常を重ねても、彼の身体は大きくならなかった。少なくとも、角界の頂点に立つ男たちのようにはならなかった。雪駄を履くことを目標に相撲の世界に飛び込んだ少年が、横綱という地位を意識することはついになかった。
番付をあげ、結びの一番をとることのできる立場までになっても、だった。
寺尾にとって、横綱とはそれほど特別で、遠い存在だったのである。