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「横綱が胸を出したら、力士の頭が割れた」“鉄板のように硬い”千代の富士に18歳貴花田はなぜ勝てた? 《寺尾が語る昭和と平成の大横綱》
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byJIJI PRESS
posted2022/05/12 11:02
平成3年夏場所の初日、横綱・千代の富士に初挑戦した18歳貴花田は寄り切りで大金星をあげた。結びの一番を控える寺尾(左)の目の前で歴史が動いた
あまりにも激しい決まり手は、ファンの間に論争を引き起こした。その中には、横綱としての品格を問うものもあった。
だが、屈辱的な敗北の当事者だった男は、平成が終わろうとしているいま、あのころとは違った視点から「吊り落とし」を振り返るようになっている。
「いまのだめ押しって、客席まで吹っ飛ばすでしょ。あれは力士の怪我にもつながるし、お客さんも危ない。でも、あの時の吊り落としは、だめ押しじゃないんです。自分が持ち上げられて落とされただけ。こっちが怪我をすることはないし、お客さんに迷惑をかけることもない」
鋼鉄の筋肉をまとった伝説の横綱が、あのとき、凄まじく昂っていたことは誰よりも寺尾自身が感じている。けれども、昂ってもなお、横綱の中に一定の自制心が残っていたことが、いまの錣山親方にはわかる。
彼にとっては、だから、金星よりも忘れられない一番なのである。
「貴乃花には不思議な柔らかさがあった」
目の前で起きたことが、彼には信じられなかった。
「呆然としながら、ああ、時代が変わるんだなあって思ったことは覚えてます。自分がうつむいちゃったのもわかってました。正直、相撲取らないで帰ろうかなって思ったぐらいでしたから」
平成3年夏場所の初日、結び前の一番だった。結びで横綱・旭富士と当たることが決まっていた寺尾の目前で、千代の富士が守勢一方のまま寄り切られたのである。
勝ったのは、18歳の貴花田だった。
2カ月前の春場所で、寺尾は後の大横綱と初めての顔合わせをしている。結果は、貴花田の押し倒しだった。
まだ高校に通っていてもおかしくない少年に敗れた寺尾は、花道を引き上げる途中で下がりを叩きつけた。若造に相撲の世界の厳しさを教えるつもりで臨んだ一番に敗れた悔しさ、腹立たしさが、28歳になっていた小結を「相撲人生で唯一」という“暴挙”に走らせてしまったのである。
ただ、寺尾の中には悔しさと同じぐらい、感嘆する気持ちもあった。
「千代の富士関が硬かったとしたら、貴花田は柔らかいんです。何をやっても吸い込まれてしまいそうな、不思議な感じの柔らかさがあった。まあ、これはあっという間に抜けていくだろうなとは思ってました」
とはいえ、千代の富士の強さを肌で知る力士の一人としては、いくら不思議な柔らかさがあるとはいえ、まだ18歳の貴花田が横綱初挑戦で金星をあげることまでは想像できなかったし、したくもなかった。