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なぜオシムさんの死はこれほど悲しいのか…「心から深く真剣に愛情を注いでくれた」「“日本の教育”に一石を投じた」ファンが寄せた名将への感謝
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byToshiya Kondo
posted2022/05/02 17:35
ジェフが優勝した2005年ナビスコ杯決勝後、オシム監督の笑顔
「日本サッカーを“日本化”するというスローガンの下に、アジリティや運動量、献身性といった日本人の特徴に合わせつつ、個々のタレントに頼らないサッカーを展開していて、将来性を強く感じたから」(40代男性)
「日本サッカーに連動性という概念を植えつけてくれた」(60代男性)
「走り回りながらも、流動的に戦術を変えることができ、世界に通用するサッカーが期待できた」(60代男性)
「人が次から次へと湧いてくる、とても魅力的なサッカーでした。想像していたのと違うポジションから、別の選手が追い越していく。本当にいい意味で予想できない、楽しいサッカーでした。今でもオシムでワールドカップを戦ったらどうなっていたのか、を妄想してしまいます」(40代男性)
「理論的で、ほとんどの選手選考や戦術に対して明確な理論で指揮を執っていた印象が非常に強かった」(40代男性)
鍛えられたメンバーが“賢く走って”長く現役を
「もしオシムさんが病気で倒れていなかったら、日本サッカーは今より10年進んでいたのでは? と思わせてくれました。革新的なトレーニングや考え方で、他の監督とは一線を画した監督でした」(30代男性)
「新しい世代の発掘と日本代表の可能性を高め、期待を持たせてくれたこと。ヨーロッパ遠征は今でもビデオで見るけど、よかった」(60代男性)
「あの時、オシム監督に鍛え上げられたジェフや日本代表のメンバーの多くが、長く現役を続けた。それは、賢く走ることを覚えた選手が増加したからでしょう」(40代男性)
「実績だけを見ればオシム以上の監督もいたと思うが、オシムはユーティリティプレーヤーを複数駆使して、華麗でスピーディな攻撃サッカーを展開した。“日本代表がどれだけ上に行けるだろうか”という期待感を最も感じさせてくれた監督だったと思う」(40代男性)
「日本人に合ったサッカーを作りつつあった。人間性も最高だし、病気で終わったのは残念。オシムのチームをもっと見たかった」(50代男性)
「あの頃の千葉のサッカーが非常に面白かったことと、日本代表でもオシム監督の戦術が少しずつ浸透し始めたころに、これは面白そうだと感じました。この先、日本代表がどうなっていくんだろう? とワクワクしたタイミングで病気による交代となってしまったので非常に残念です」(40代女性)
「未完成に終わったことによる幻想かもしれないが、素晴らしいサッカーをしてくれていた。オシムの完成形を、見たかった」(50代男性)
2)チャーミングな人間性と、数々の名言
「ライオンに襲われた野ウサギが逃げ出す時に肉離れしますか? 準備が足りないのです」
「古い井戸には水が少し残っている。それなのに、古い井戸を完全に捨てて新しい井戸を掘りますか? 古い井戸を使いながら新しい井戸を掘ればいい」
オシム監督と言えば数々の名言。Numberでのインタビューでも含蓄ある言葉を数多く残しました。それと同時に「PK戦は見ずにロッカールームに引き揚げる」、「練習中に見せる愛嬌あるポーズ」など、時に見せるチャーミングな人間性にも多くの人が惹きつけられました。