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なぜオシムさんの死はこれほど悲しいのか…「心から深く真剣に愛情を注いでくれた」「“日本の教育”に一石を投じた」ファンが寄せた名将への感謝
posted2022/05/02 17:35
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Toshiya Kondo
2022年5月1日、イビチャ・オシムさんが80年の生涯を閉じました。
2003年にジェフユナイテッド市原・千葉の監督に就任すると「考えながら走る」サッカースタイルを瞬く間に浸透させ、Jリーグに一大センセーションを巻き起こしました。
そして06年ドイツW杯後にはサッカー日本代表監督に就任。世代交代が必要だった当時の代表において、遠藤保仁、中村憲剛、阿部勇樹、鈴木啓太らを飛躍させるとともに、三都主アレサンドロや中村俊輔ら以前からの主力メンバーも融合。脳梗塞による退任という形で、オシムジャパンの完成形はW杯の舞台で見ることはかないませんでしたが、魅力的なサッカーを構築しました。
稀代の名将がこの世から去ったという一報を受けて、SNS上では数多くのサッカーファンから悼む声が。さらには阿部、巻誠一郎、水野晃樹らといった“教え子”たちも、オシム監督への感謝の言葉をつづっています。
3月にNumberWebで実施したアンケート『サッカー日本代表の30年、あなたが選ぶ「最高の名将」は誰ですか?』で、オシムさんは500を超える全体の得票数のうち、約35%を占める断然の1位に輝きました。
なぜオシムさんはこれほどまで、日本人から愛されたのか。
アンケート結果発表の際にご紹介しきれなかった「ファンからオシムへの感謝」を掲載します。
1)日本サッカーの進化を促す育成・戦術アプローチ
オシム監督のサッカー哲学で代名詞となったのは「考えながら走る」。スキルと走力、連動性を融合したスタイルによって、ジェフは当時国内最強と言われたジュビロ磐田相手に完勝を飾るなど、一気に躍進。2度のナビスコ杯(現ルヴァン杯)制覇を成し遂げました。
その手腕によって日本代表でも数多くの選手が覚醒。遠藤や中村、阿部のように30~40代になっても第一線で活躍した選手が多いのは、彼らの「サッカーIQ」をオシムさんが磨いたという側面は確実にあるでしょう。
攻守の切り替え(トランジション)の高速化や、自在に選手が動きながらも最善の配置を取るポジショニングと連動性。現代戦術で定着した概念ですが、オシム監督の目には“未来のサッカー”がすでに見えていたのかもしれません。それを日本人の特性に合わせながら表現しようとした点に、感謝の声が寄せられました。
いい意味で予想できない楽しいサッカーでした
「日本人の特長をよく理解し、日本に合った最先端のサッカー哲学を浸透させてくれた。オシムさん以降から日本が根性論ではなく理論でサッカーをするようになり、この方が今日の日本サッカーの始まりと思っています。本当に尊敬しています」(50代男性)
「哲学、ビジョンがあり、若手が生き生きとするサッカーのイメージ。人を選ばないサッカーという印象が強く、いい意味でジェフ時代の先入観もある」(30代男性)
「オシムでなければ、ジェフの快進撃はなかった」(40代男性)