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竹原慎二「お前、今日負けたら引退だからな」元佐川急便・藤岡奈穂子46歳が“北新宿の四畳半”から女子ボクシングの第一人者になるまで
text by
たかはし藍Ai Takahashi
photograph byGetty Images
posted2022/04/08 11:00
昨年7月、藤岡奈穂子はロサンゼルスでWBA女子フライ級のベルトを防衛。日本の女子選手として初めてアメリカで世界戦に勝利する快挙を成し遂げた
所属ジムの後援者の会社で仕事を始め、北新宿界隈でもっとも家賃が安い賃貸アパートを探し、四畳半一間で暮らし始めた。
「治安も悪くて、東京なのに夜になると真っ暗で。宮城の広いところから来たので、天井も低いし、圧迫感で死にそうになっていましたね(笑)。ガスもカセットコンロで、建物が古かったせいか水もまずくて。『水って買うものなのか?』と、いろいろショックを受けていました」
東京の不慣れな生活からか、半年後には顔中に吹き出物ができたという。
2009年9月、プロとしてのデビュー戦を迎えた。「一度でも負けたら宮城に帰ろう」と決めていた藤岡だったが、控え室で竹原慎二会長から「お前、今日負けたら引退だからな」と言われ、気が引き締まった。結果は、2ラウンドTKO勝利。華々しいデビュー戦となった。
「世界王者が仕事をしながらでは夢がない」
ファイトマネーと手売りのチケットを合わせて約40万円を手にし、初めてプロとしての意識が芽生えたという。
「アマチュアは23歳からやっていますが、当時は参加費を払って試合をしていたので(笑)。ある意味で自己満足の世界というか……。プロの選手として、“他の人の夢”とまでは言わないけれど、誰かの期待を背負って戦うのは全然違うなと思いました」
デビューから1年半後、WBC女子世界ミニフライ級王者を獲得。さらにその2年半後、WBA女子世界スーパーフライ級王座を獲得して2階級制覇を成し遂げた。そこで藤岡は「世界王者が仕事をしながらでは夢がない」と、仕事を辞める意志を会社に伝えた。幸いなことに、社長から同郷のよしみでスポンサーとして支えてもらえることになり、今もボクシングに専念して生活ができている。
「環境の改善を待っている余裕は自分にはありません。日本のリングだけではなくて、世界で有名になれば評価も上がるし、ファイトマネーもさらに上がっていく。これからも挑戦する姿を見せていきたいですね」
言葉の通りに、藤岡は誰も開拓してこなかったアメリカの広大な市場を切り開こうとしている。現在地で満足しているわけでは決してない。4月9日に行われる試合の舞台は、対戦相手の地元テキサス州であり、“アウェイの洗礼”は容易に想像がつく。リスクを背負ってでも、失うものがあったとしても、挑み続けることをやめるつもりはない。
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