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明徳義塾OBが語っていた“寮生活のリアル”「48人部屋が2つ。2段ベッドが24台」「おかしい部分を撤廃するのに、4年かかりました」
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byHideki Sugiyama
posted2022/03/23 11:04
2002年、夏の甲子園で初の全国制覇を成し遂げた明徳義塾ナイン。チームキャプテンは現ヤクルトコーチの森岡良介だった
その寮生活は驚きに満ちていた。当時の明徳義塾は大部屋で集団生活を送っていたのだが、その規模はかなりダイナミックだ。なにしろ48人部屋が2つ。2段ベッドが24台も部屋の左右2列にズラリと並んでいるのだ。
上級生はベッドの仕切りとしてカーテンを使うことが許されたが、下級生にそんな権利は認められなかった。2段ベッドの下段で下級生が物音を立てようものなら、上段で眠る上級生から「うるさい」とどやされる。寝返りひとつ打つのも神経を使う日々で、あるOBは「おならは『すかし』に変更できるようになるんです」と語っていた。
授業、練習、黙想…1日のスケジュールは?
ただし、部員がさらに増えた今では寮の環境も大きく変わっている。現在は2、3人部屋で「プライベート空間があるだけ昔よりずっと快適です」と内村コーチは笑う。
明徳義塾の朝は6時30分に始まる。点呼を終えると、朝礼。全員でラジオ体操をして体をほぐす。朝食をとった後、8時30分に登校して授業を受ける。現在は月~木曜が14時30分、金曜は13時30分まで授業があり、その後に野球部の練習が始まる。だが、18時には練習が終わり、夕食と入浴を早めに済ませる。それは19時30分から夕礼があるためだ。全員で黙想した後、それぞれの郷里の方向に頭を下げ、両親への感謝の礼をする。夕礼後は身の回りの掃除をして、20時からは2時間の自習時間。束の間の休息を取ると、あっという間に22時30分の消灯時間を迎える。
決められたタイムスケジュールの3年間を過ごし、内村コーチが在学中は1年夏から春夏すべての甲子園に出場した。内村コーチ自身は3年時に背番号9をつけ、春夏連続で甲子園の勝利を味わい、春のセンバツではベスト8に進出している。
「4年かかりました」寮生活&上下関係の改革
その後、内村コーチは日本大に進学し、高いリーダーシップを発揮して4年時には主将を務めた。社会人の強豪・日立製作所でプレーした後、選手を引退。日本大のコーチを務めた後、馬淵監督に声をかけられて母校のコーチに就任した。
コーチ就任後は寮生活の改革に尽力した。時代とともに上下関係のあり方も変わっていくべきという考えがあったからだった。
「昔は後輩が先輩の世話までするのが当たり前でしたけど、よく考えれば先輩が率先して雑務をしたり、後輩の面倒を見たりするのが本来の姿じゃないですか。昔ながらのおかしい部分を撤廃するのに、4年かかりました」
「寮じゃないチームには負けられない」
明徳義塾の強さの理由を聞くと、内村コーチは「エリートではない、叩き上げで成長させるチームだと思っています」と答え、さらにこう続けた。