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“4月で80歳”グレート小鹿はなぜ社会貢献に情熱を注ぎ、今もリングに立ち続けるのか「結局、オレもプロレスバカなんだね」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2022/02/13 11:02

“4月で80歳”グレート小鹿はなぜ社会貢献に情熱を注ぎ、今もリングに立ち続けるのか「結局、オレもプロレスバカなんだね」<Number Web> photograph by Essei Hara

1995年3月、横浜文化体育館での大日本プロレス旗揚げ戦でマイクを持つグレート小鹿

 2008年8月、横浜・赤レンガ倉庫で行われた大日本プロレスでは、リング上に『リア王』に扮した小鹿がいた。リングシューズを履いたリア王は壮観だった。本物の血が流れるシェイクスピアとしても注目された。

「話が来ると、断れない。『これをやったら、会社がよくなるぞ』って営業の癖があったんだろうね。オレじゃなくて、とにかく大日本に銭を持って行こうという考えがあったから」

「結局、オレもプロレスバカなんだね」

 鴨居に作った大日本プロレスの道場は、本当に金の卵を産んだ。“マッスルモンスター”関本大介だ。

「いい新弟子が入れば、右へ倣えだ。これがいなかったらグダグダですよ。忘れもしない、徳島の体育館。チケットが70枚しか売れなくて、岸壁みたいなところに座って、どうしようかと思っていたとき、ずっと向こうでスクワットをやっている奴がいる。それが関本だった。高校を卒業してまだ1年か2年くらいかな」

 それまではケンドー・ナガサキと谷口裕一しかいなかった。

「10年前くらいに、大日本がどうにもならなくなった。弁護士でさえギブアップ寸前。やめるのは早い方がいいよと言われた。でも、高校を卒業する生徒から、『就職先に大日本プロレスと書いたんですけれど、面接させてくれないですか』と言われたんです。涙が出てくるじゃないですか。そんな子供たちを入れておいて、ギブアップできないでしょう。こうやって残っているのは人間の心と心のつながりですよ。

 関本には感謝しています。伊東竜二だって今はこうなったけれど、最初はまともに腕立てもできない。リングの角でジャンプしていたくらいです。でも若い選手の希望、燃える心を見せつけられたら、ギブアップできないですよ」

 大日本プロレスではデスマッチも人気だ。小鹿もアメリカでは血を流してきた。

「デスマッチは今の方がもっとハードですよ。蛍光灯とかはアメリカじゃコミッショナーが許可しなかったでしょう。リングの周りに金網を張ったのはやったけどね。日本のデスマッチの映像がアメリカで人気があるというのは、たしかにわかる気がする」

 今年4月28日、グレート小鹿は80歳になる。

「まだ定かじゃないけれども、80になっても、50、60の年代と同じ気持ちじゃないのかな。区切りもなにも、すべて自分の気の持ちようでしょう。どこかからオファーが来たら、『ああいいよ、この日なら空いているよ』って淡々としているんじゃないかと思うよ。結局、オレもプロレスバカなんだね」

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「オレはプロレスになる。力道山の弟子になる」現役最年長レスラー・グレート小鹿(79)が師匠から授かった「最初で最後の褒め言葉」

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