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《GIII東京新聞杯》昨年覇者・カラテの“不安”は「爪の状態」? デビューから低迷し、“障害入りすらできなかった”馬の逆襲
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySankei Shinbun
posted2022/02/05 11:00
昨年の東京新聞杯を制したカラテ
東京新聞杯で連覇へ「爪も今のところ問題ない」
爪の状態が戻れば怖いモノはなかった。カラテは期待通り1番人気に応えて先頭でゴールを駆け抜けると、今週末の東京新聞杯で連覇を目指す。
「前走後は放牧に出さず厩舎で調整しています。気性面は荒いとか繊細過ぎるといった事はなくて、わりと穏やかなので乗り手もコントロールをしやすいはずです。爪も今のところ問題ないので前走時と変わりない感じで向かえそうです」
そう語る高橋祥調教師は先日の1月31日に70歳。JRAの規定により今月一杯で厩舎を解散、調教師を引退しなくてはならない。残された機会、とくに重賞制覇となると、もうチャンスはいくらもない。
送り出す高橋調教師の願い
「自分は父が元騎手で元調教師だった事もあり、物心がついた時には中山の厩(うまや)で育っていました」
そう語るように父の英夫氏は騎手として日本ダービーを優勝(1962年フエアーウイン)、調教師としてはオークスを制した(83年ダイナカール)名ホースマン。馬に囲まれて育った祥泰青年は日大で獣医学を専攻。獣医師免許も取得した。
そのような専門知識を身につけた後、75年に父の厩舎で調教助手に。そして83年には調教師として開業すると翌84年には早くも重賞初制覇(ダイナシュガーによる4歳牝馬特別)。更にタイキフォーチュンでは96年に第1回のNHKマイルC(GI)を制すなど、活躍をした。
「一度は獣医になろうと決心したけど、就職を予定していた開業医が新規採用を見送ったので、仕方なく競馬の世界に戻ったというスタートでした。それが70歳の定年まで、続ける事になったのだから分からないものです」
こう言った後、次のように続ける。
「競馬が現在みたいに市民権を得ていない時代に中山の木造の厩舎で育ち、スタートがゲートではなくてバリアーの頃からレースを見ていますからね。仕事として始めてからは土日の競馬が終わればまた次の土日のためという感じ。毎週毎週追いかけ続ける生活でしたね」
では、あっという間だったか、と問うと、それにはかぶりを振って答えた。
「いえいえ、長かったですよ。うん、長かった」
引退後のプランに関しては今のところ何も決まっていないと言う。それはつまりまずは残された1カ月に全力を注ぐという意味だろう。最後のひと月が幸先良いスタートを切れるよう、東京新聞杯連覇を狙うカラテの走りを応援したい。