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濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
上谷沙弥「アイドルへの未練はなくなった」 元バイトAKBがスターダムで“本物のプロレスラー”になるまで《特別グラビア》
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2021/12/28 17:15
両国大会では中野たむのワンダー・オブ・スターダム王座に挑戦する上谷沙弥
中野たむから誘われたプロレスの世界
オーディションに落ちるたびに「私はダメ人間なんだ」と思うようになった。その原因だと感じた背の高さや筋肉がコンプレックスにもなった。アイドルになりたいと思えば思うほど、自分が嫌いになっていく。
後に太田プロ所属となり演技の勉強を始めたが、アイドルになりたい気持ちは燻っていた。そして最後のチャンスというつもりで応募したのが、プロレス団体が手がけるアイドルグループだった。プロレスのことは何も分からなかったが、アイドルになれるならと思った。
メンバーになると、周囲からプロレスもやらないかと誘われる。グループのGMを務めていた中野たむもその1人。「アイドル活動をする上で役に立つなら、アピールになるなら」と練習を始めた。基礎体力の練習を経て技を習うようになると、エルボーを食らっていきなり胸骨を骨折。
「心も折れかけました。アイドルになりたかったのに何やってんだろって」。プロレスの練習をしていることは親に隠していたが、SNSでバレた。猛反対され、練習でクタクタになって帰ると家では毎日のように親子ゲンカが待っていた。そういう日々でも、少しずつ自分が好きになっていった。
「プロレスの世界だと、背が高いことや筋肉がついてることを褒められたんですよ。コンプレックスだった部分が武器になるんだと知りました」
“AKB初代総監督の言葉”を実感した場所
2019年8月10日、渡辺桃戦でデビュー。その年の団体新人王にもなった。背が高くて運動神経がよく、ダンスで鍛えた動きは華やかだった。リング上では“できる子”だった。
「中野たむも言ってましたけど、プロレスは努力した分だけ結果につながるなって思います。アイドルの世界では“なんで?”っていうこともあったんです。ダンスに関しては私は誰よりも努力しました。でもライブでは、私よりダンスができない子がいいポジションをもらえる。プロレスはやってきたことがリングで出ます。ドームで出して褒めてもらえたフェニックス・スプラッシュも、自分で練習して身につけた技です。プロレスでは努力した甲斐があったと思えますね」
努力は必ず報われる。AKB初代総監督の言葉を実感したのはリングの上だった。ただ、それだけではなかった。
「私はドジというかなんというか……頑張ろうとすると空回りしちゃうんです。“謝罪会見”の時もそうで。いや謝罪会見じゃなかったんですけど……。誰かに“存在自体が爆弾”と言われたこともあります(笑)」
マイクアピールの最中、急に叫びだす。号泣することもしばしば。“謝罪会見”とは、今年のシングルリーグ戦『5★STAR GP』に向けた記者会見のことだ。参戦発表前の他団体の大物、彩羽匠の名前を言ってしまいステージで土下座しながら号泣した。ファンからすれば、そんな姿も微笑ましかった。“歩く情報漏洩”という新しいあだ名もついた。
東京ドームや武道館でインパクトを残しながら、会見では大泣き。いい意味でのポンコツ感と言えばいいだろうか。まさに「しっかりしてないところも含めてアイドルの魅力」だ。実は上谷はアイドル性が高かった。プロレスラーになることで、それが分かった。