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囲碁界大激震…「AIソムリエ」関航太郎20歳が史上最速でタイトル獲得できた“独自すぎる研究法”とは?《秋篠宮悠仁さまと芋掘りも》
text by
内藤由起子Yukiko Naito
photograph byKYODO
posted2021/12/30 06:01
令和三羽ガラスの1人、一力遼(右)から天元のタイトルを奪取した関航太郎
小学1年のとき、通っていた「新宿こども囲碁教室」を主宰する藤澤一就八段に「プロを目指さないか」と声をかけられた。
プロに向いているかどうか。藤澤の判断基準は(1)集中力が高いかどうか、(2)本人が碁が好きか、(3)親が協力的か(送り迎えなどできるか)の三点だという。
小さいころから鍛えて、世界で戦える棋士を育てたいという目的で、このとき初の試みとして「6歳でプロを目指すグループ」を作った。白羽の矢が立ったのが、まだ級位者だった上野愛咲美(若鯉杯・女流棋聖)、広瀬優一(五段)、そして関の同級生3人だった。
藤澤「関は走り回ったり、うるさくしたり。落ち着きのない男の子でした。ただ、ときどきすごい集中力を見せる。これほどの集中力の持ち主はなかなかいません。そのなかで、進学せずプロになるまで強くなるのは珍しい。関の戦いのセンスは素晴らしく、それは今も変わりません」
秋篠宮悠仁さまと一緒に芋掘りをしたことも
これまでの指導者は、落ち着きのない子はそれだけでプロには向かないと判断して切り捨てる傾向にあった。しかし藤澤は「落ち着きがないのは、年齢がいけば直る。でも放っておくと強くはならない。落ち着きが出てから育ててもその時点で手遅れになります。最初はスタッフが頑張って面倒をみていました。関は中学生くらいになってようやく落ち着いてくれました」。
関は、幼稚園から国立のお茶の水女子大学附属に通っていた。小学6年のとき、小学1年だった秋篠宮悠仁さまと一緒に芋掘りをして、仲良くなったこともあったという。
勉学をして身を立ててもらいたいと親は思っていたことだろう。しかし本人がプロを目指すことになると、「藤澤先生にお任せします」と、子どもの気持を尊重した。
小学3年で(プロの養成部門の)院生に入ると、土日は研修手合いがある。高学年になると給食を食べると早退して道場に通うようになる。これは、プロを目指す多くの子どもが送る生活パターンなのだが、教育熱心な厳しい学校からは「運動会に出られないとはどういうことか」「そんなに早退するなんて」と、親が怒られていたそうだ。