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「体操をやめよう」第一人者・寺本明日香が明かす“出られなかった東京五輪”の葛藤…村上茉愛メダル獲得の裏に“2人の物語”
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2021/12/10 06:01
東京五輪では補欠ながらチームを支え続けた寺本明日香(26)
東京五輪を集大成と定め、最後の大舞台としていた。例えばフィギュアスケートの羽生結弦がプログラムに使用した『Origin』をゆかに使用する経緯を説明する言葉にも、東京五輪への思いがあふれていた。昨夏には「この曲で終わりたいと決めました」「いちばん最後に披露したい」と語り、今春には「競技人生に重なる曲です」と語っている。
今、あらためて語る。
「フィギュアスケート自体、好きなんですね。表現力とか勉強にもなりますけど、単純に好きだから観ています。どの選手も好きです。『Origin』も単純に好きだし、インパクトがありました。プルシェンコ選手が昔使っていて、それをもとにしつつ羽生選手が使っていた曲ですが、テンポがよく体操に合うのと、力強くて感動する。そこがよかったです」
「体操を『やめたい』と思いました」
それを東京五輪でお披露目することはかなわなかった。それでも懸命にチームを支えた寺本だったが――。
「オリンピックが始まって体育館に行かなくなりました。体操を『やめたい』と思いました」
いざ大会が始まり、代表選手たちは大舞台へ臨む。ただ、自分はその立場にない。そこに生じた葛藤は大きかったかもしれない。
それでも、気持ちは切れなかった。投げやりにもならなかった。村上への電話はその証明であり、村上の感謝も、ただ励ましてくれたからばかりではなかった。
「私が出ていなくても大会は開かれているし、代表になれなかったのは悔しかったし出たかったけれど、自分が体操をやりたくないのと、体操への気持ちは別です」
日本代表の数々のピンチを救ってきた体操人生
寺本のもともとの心性もあった。自身、「人を助けようと思ったときに力が出る」と自己分析する。
競技人生がそれをはっきりと物語っている。2011年、高校1年生で初めて世界選手権の日本代表に選ばれた。大会では思いがけないアクシデントが日本チームにあった。予選の跳馬の練習中、出場を予定していた選手が負傷したのだ。急きょ代わりに出場した寺本の活躍により、日本チームは危機を脱し、ロンドン五輪の団体出場権を獲得することができた。
2019年の世界選手権もチームが危機にあった。村上が怪我により団体に出られなくなったことだ。その中で主将の寺本は予選からチームトップの得点を叩き出す活躍を見せるなど引っ張り、日本は東京五輪の出場権を手にすることができた。村上の言う「お返し」はそれを指していた。
葛藤があっても、応援する気持ちを失わなかったのは、寺本ならではだった。