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セレッソ大久保嘉人39歳が明かす“正式発表3日前…なぜ突然引退を決意したか?”「やっぱり、オレは普通の選手よりも批判されますから」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byKatsuyuki Masuda(SIGNO)
posted2021/12/05 11:02
今季限りでの引退を決めた大久保嘉人(39歳)。Jリーグ200ゴールまであと9得点…なぜこのタイミングで引退を決断したのだろうか
「プロになってカード(警告)をもらうシーンはありましたが、嘉人は本当に素直な選手。高校時代は1度だけ試合で退場したことがありましたが、それは審判のミスジャッジ。素直なぶん、環境に左右されやすいというか……。だからプロに送り出すときは、誰かに騙されやしないかとひどく心配したものです」
スーツ姿で登場し、第一声から涙が溢れた引退会見の冒頭は、そんな大久保の一面がみられたシーンだったかもしれない。
「あのときは写真と音楽が流れてね。泣く予定はなかったって言いましたけど……オレは漫画を読んでも泣いちゃうタイプだから、じつは自分でも絶対に泣くだろうとは思っていました。ただ、大勢の前で怒る場面はあっても、みんなの前で泣くことはあまりなかったですし。それこそ2010年の南アフリカW杯以来じゃないですか。あのときはパラグアイにPK戦で負けて、悔しくて泣きましたね」
サッカーは“仕事”「稼がないと意味はない」
高卒で2001年にプロ入りし、第一線で21年間プレーしてきた大久保。ただ、サッカーは“仕事”であり、ほかにもっと稼げる仕事があれば迷わずそっちに行っていたとも話す。
「サッカーが好きだからプロになったわけではないし、稼がないとプロになった意味はないとずっと思ってきました。それは、20年前にプロ入りしたときから。だって、稼げなかったら後々の生活が大変ですからね(笑)。
スペインリーグへの移籍は夢でしたけど、なんで行きたいかと突き詰めたら、やっぱりお金を稼げるからという思いもあったし。日本代表で活躍するのも夢でしたけど、それもそうすればお金が稼げると思ったし、そうしないと移籍だってできないですから。ただ、そう考えていたことで、常に高い目標を設定しチャレンジし続けられたのかなと思っています」
セレッソ大阪で始まり、セレッソ大阪で終わったキャリアだが、その間にのべ12クラブでプレーし、11度の移籍を経験したのも、サッカーを仕事として捉え、現状に満足することなく、常に進化を求めて挑戦し続けてきた結果なのかもしれない。
「フロンターレにずっといたらラクだったかもしれない。でも、オレは若いときからチャレンジをすることで、自分に足りないところや武器になるところをみつけて成長できてきたし、そうしないと自分じゃなくなるという意識があった。ずっと王様でいられないというか……いたくないというか。王様になってしまうとそんなに力が出ないので、あえて移籍を繰り返してきた部分もある。
それは昔からで、中学になるときに福岡から国見(長崎)に行ったときからそうだった気がします。まあ、人それぞれだとは思いますが、オレは移籍すればするほど友達や仲間も増えて楽しいと思っていたし、動くのが全然苦にならなかったんですよね」<#2へ続く>
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