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「本当なら、あそこで僕らは死んでいた」オシムの遺産を食いつぶしJ2降格寸前→“11分で4発”残留… ジェフ巻誠一郎と谷澤達也の奇跡
posted2021/12/05 06:00
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph by
J.LEAGUE
長友佑都のミドルが決まった時、フクダ電子アリーナは絶望的な空気に包みこまれた。勝たなければいけない状況下で、2点のビハインドを負ったのだ。残された時間は40分にも満たない。愛するクラブの勝利を信じて叫び続ける黄色のユニホームを着たサポーターたちは、その時、受け入れがたい現実を覚悟したはずだった。
それは、サポーターだけの想いではなかったかもしれない。出番に備え、アップを続けていたキャプテンの下村東美さえも、戦況を見守りながらすでに涙を堪えきれないでいたからだ。
2008年12月6日、ジェフユナイテッド千葉は絶体絶命のピンチに陥っていた。J1リーグ最終節を前に、順位は降格圏の17位。残留ラインの15位のジュビロ磐田とは勝点2差で、16位の東京ヴェルディにも2ポイント差をつけられていた。残留のためにはFC東京と対戦する最終節で勝点3を得たうえで、磐田と東京Vの敗戦を願うほかなかった。
オシムの遺産を食いつぶしていた
もっとも、この苦しい状況は予期できたものだった。この年の千葉は、開幕前から崩壊の危機に立たされていたからだ。
佐藤勇人をはじめ、山岸智、羽生直剛、水野晃樹、水本裕貴と主力が次々に移籍。イビチャ・オシム監督の下で躍動した“チルドレン”たちが流出した千葉は、オシムの遺産を食いつぶし、まるで別のチームとなっていた。
ヨジップ・クゼ監督の下で活路を見出したかったが、主力流出のダメージはあまりにも大きかった。開幕11戦未勝利(2分9敗)と目も当てられぬ成績で、クロアチア人指揮官は早々にチームを去った。
後任に就いたのは、アレックス・ミラー監督だった。スコットランド出身の新たな指揮官は、10シーズンに渡って名門リバプールのコーチを務め、2005年にはチャンピオンズリーグ制覇にも貢献している。輝かしいキャリアを備えるこの新監督に、千葉の再建は託されたのだ。