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「次のマウンドは日本一に…」高津監督は現役時代《絶対大丈夫な守護神》だった ヤクルトvsオリ・近鉄・阪急の“日本シリーズ激闘史”
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NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/11/28 11:03
第6戦終了後、オリックスの選手たちと健闘を称え合った高津監督。両チーム死力を尽くした日本シリーズを象徴するエンディングだった
野村IDに、あのイチローが「過剰反応」した
<名言2>
弱点が攻められていたのかと思うと、過剰反応してしまい修正が効かなかった。
(イチロー/Number640号 2005年11月2日発売)
◇解説◇
1995年の日本シリーズ、ヤクルトvsオリックス。この時の主役は、天才打者として一躍スターダムに駆け上がったイチローだった。この年の1月に起きた阪神・淡路大震災でダメージを受けた中で「がんばろうKOBE」のスローガンのもと大躍進。ホームタウンに大きな勇気を与えるパ・リーグ制覇を成し遂げた。
この勢いに乗って日本一も――というところで立ちはだかったのは、当時円熟期を迎えつつあった、野村克也監督率いるヤクルトだった。そしてフィールド上の司令官は、12球団ナンバーワン捕手としての評価をゆるぎないものにしていた古田敦也である。
当時のヤクルトはデータ分析で圧倒的な優位性を持っていた――というのは有名な話だ。イチローの打撃についても<アソボウズ>という集団がデータ集積しており、野村ヤクルトと古田のリードに生かされていたという。「インハイ」という打者にとって誰もが嫌がるコースをメディアも使って意識させつつも、変幻自在のリードで本来の打撃をさせなかったのだ。
冒頭の言葉は後年、イチローが95年の日本シリーズについて振り返った言葉だ。歴史に名を残す名打者にも、日本シリーズという大舞台で初めて対峙する「野村ID野球」に翻弄されたのだった。
しかし、味わった苦い味を良薬にするのもイチローである。オリックスは翌96年もリーグ連覇を達成。2年連続の日本シリーズで読売ジャイアンツ相手に4勝1敗と圧倒し、オリックスとして初となる悲願の日本一を達成した。
古田敦也はどう投手を生かそうとしていたのか
<名言3>
どんな厳しい状況に立たされても、怯まずに向かっていく。そんなヤツじゃないとピッチャーとしては成功しない。
(古田敦也/Number534号 2001年10月18日発売)
◇解説◇
「バッターにすれば、球種がひとつ余分にあるのとないのとでは、全然ピッチャーに対するボールの待ち方が違ってくる。武器はひとつでも多いに越したことはない」
ヤクルト黄金時代を支えた名捕手・古田。95年のイチロー攻略など強烈な印象を残した《球界の頭脳》だが、2001年、近鉄バファローズとの日本シリーズを前にして、自らが受ける投手について、このように話していたことがある。
だが、同時に「器用なヤツは魅力がない」と相反する思いも吐露する。
2001年シーズンに7勝を挙げた前田浩継を例に挙げ、「ボール、ボールときて、真ん中に真っすぐを要求する。並みのピッチャーだと、びびってこれがボールになる。ところが彼は“狙ってないから、ここなら真ん中でも大丈夫だ”という時には、ビシッと素晴らしいボールを投げてくる」と、勝負度胸を良いピッチャーの第一条件に挙げた。
その古田だが、日本シリーズで圧倒的な存在感を放った。