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清原和博への内角攻めが裏目に…「打者の反応を見て配球を変えろ」日本一の決め手となった“ノムラの教え”と古田敦也の決断
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph bySankei Shimbun
posted2021/11/27 11:04
1993年の日本シリーズ第7戦、マウンドに上がった高津臣吾(現ヤクルト監督)に声をかける古田敦也
渡辺は2球で簡単にツーストライクとした。ここから広沢はファールで粘りツーボールツーストライクとする。渡辺が6球目に投じたストレート、広沢が強振するとファールチップとなって、キャッチャー・伊東勤のミットに収まった。
いや、白球はミットに収まりかけてこぼれ落ちた。
命拾いをした広沢は打席を外して頭の中を整理する。
続いて投じられた127キロのカーブが甘く入る。無心でバットを振ると、打球はあっという間にセンターバックスクリーン脇に飛び込んだ。
先制のスリーランホームラン。手応えはバッチリだった。
四番のひと振りにレフトスタンドのボルテージがマックスになる。一塁側ブルペンでは早くも工藤公康、石井丈裕が肩を作っている。森は総力戦を覚悟していた。
五番のジャック・ハウエルにフォアボールを与えたものの、渡辺は続く池山、秦真司を連続三振で切り抜け、何とか初回を3失点で終えた。
ここまでの六戦はすべて先制点を取ったチームが勝利している。悲願の日本一奪取に向けて、川崎に大きな3点がもたらされた─。
初回の援護点で緊張がぶり返した川崎憲次郎
「初回に援護点をもらうと、ピッチャーというのは“先制点を守らなきゃ”という心理が働くので、意外とプレッシャーが大きいんです。むしろ、第四戦のように両チーム得点が入らない方が、いい意味での緊張が続いて、いいピッチングができるものなんですね。最初からゲームが動いてしまうと、どうしても守りの意識になってしまう。味方が打った瞬間はものすごく嬉しいんですけど、その後はプレッシャーが大きいんです」
本人が振り返るように、野村の言葉で一度は極度の緊張感から解放されていた川崎は、広沢の援護点によって、立ち上がりには再び緊張状態にあった。