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「賞金の65%は国に」「国家行事でウィンブルドン辞退」の過去も…意外と知らない“中国テニス界の闇”《トップ選手が行方不明?》
text by
山口奈緒美Naomi Yamaguchi
photograph byGetty Images
posted2021/11/23 11:05
中国共産党の大物からの性的暴行をSNSで告発した中国のトップ選手・彭帥。その後、投稿は削除され「音信不通」であることが報じられた
2004年の全仏オープンで鄭潔(ジェン・ジー)が中国人として初めてグランドスラムの4回戦に進出したとき、記者会見で「あなたの賞金から国がいくら持っていくのか」という質問があった。そのとき鄭潔には隣に通訳の女性がついていて、鄭潔はただ困った表情を見せただけだったが、その女性が「それには答えられません」と言って、聞いた記者との間でしばし問答があったことを覚えている。結局、鄭潔は何も答えなかった。
中国では国が有力選手を全面的にサポートし、出場大会の調整、移動の手配、コーチの割り当て、スポンサー契約など一切の管理を行い、かかる費用を賄っていた。その代わり、選手は賞金を一定の割合で協会へ支払わなければならなかった。その割合は65%だったといわれている。
2005年のウィンブルドンで、中国の選手が誰も出場しなかった理由を知ったときも驚かされた。4年に一度開催される国内最大のスポーツの祭典『中華人民共和国全国運動会』と重なったからだというのだ。本大会ならまだしも、確かブロック予選のようなものだった。李娜、彭帥、鄭潔の3人がウィンブルドンの本戦にダイレクトで出場できるランキングを持っていた。
2008年に李娜が中国テニス協会を離脱したが…
若い頃のサポートには感謝しつつも、プロとしていつまでも自立できないことに不満もくすぶった。そして真っ先に行動を起こしたのが彭帥より4歳上の李娜である。パーソナルコーチが認められないことなどで協会と対立していた李娜は、2008年に協会の管理から離脱。個人でマネージメントを行うという中国テニス界では前例のない道へ踏み出した。
その後、ウィンブルドンや全豪オープンでベスト4の実績を持つ鄭潔、その鄭がダブルスで2度グランドスラムの頂点に立ったときのパートナーだった晏紫(ヤン・ツー)、そして今回の騒動の彭帥らが続いた。協会への〈資金提供〉は賞金の8%にまで削減され、2012年には一切の制約がなくなったという。李娜がいなければ成し遂げられなかったことだが、李娜ひとりでもまた成し遂げられなかったことかもしれない。
ただ、独立したからといって全てがうまくいったわけではない。彭帥はこう振り返ったことがある。