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佐藤輝明、ブライト健太との対戦が《最多4球団競合→西武ドラ1》隅田知一郎を変えた…「ボロボロになるまで投げるつもりなんで」
text by
菊地高弘Takahiro Kikuchi
photograph byTakahiro Kikuchi
posted2021/11/17 06:01
今年のドラフトで最多4球団競合となった西日本工大のサウスポー・隅田知一郎。西武の1位指名明言時は「震えた」と言う
そもそもプロ野球選手になるビジョンなど、まったくなかった。波佐見高2年秋に左ヒジを疲労骨折。波佐見の得永健監督が隅田の身を案じ、西日本工業大の武田監督に進学の約束を取り付けてくれたのだった。
得永監督から「よくなるからとってくれ」と頼まれた武田監督は、隅田のボールを1球も見ることなく受け入れを決めている。その後、ヒジが完治した隅田は中心投手として3年夏の甲子園に出場。最速143キロをマークして、鮮烈な活躍を見せた。当然、隅田の元にはさまざまな強豪大学から誘いがあったが、隅田はすべて断っている。
「ヒジをケガしたピッチャーを獲ってくれるなんて、本来はありえない話だと思うんです。ヒジが治ってよくなったからといって、進路を変えるのはイヤでした」
西日本工業大の野球部は野球の実力以上に就職面の強さを看板にしている。工業系の人材を求める企業側のニーズ、大学の就職課に勤める武田監督の人脈や就職指導もあり、野球部員の多くは大手有名企業へと進んでいく。
ところが、武田監督は隅田の入学当初から「お前はプロに行くんだ」と口を酸っぱくして言い続けた。武田監督は「左投げで140キロが出る隅田なら、常時145キロ出るようになればプロに行ける」と見ていた。
隅田はそんな武田監督の思いに乗せられるように、プロを目指すようになっていく。
「最初はプロに行くことが目標だったのが、上位候補を目指そう、1位でプロに行こう……と段階を踏みながら目標が変わっていきました。近畿大とオープン戦を組んでもらって佐藤輝明選手(現阪神)と対戦して、プロに進む選手を間近に見て、意識が変わっていきました」
そして、隅田は淡々とこう続けた。
「監督に『隅田でもプロはダメだったか』と思わせたくなかったんです」
隅田知一郎の名前が全国区になったのは、今年6月の大学選手権での快投だった。隅田は上武大との初戦に先発。ブライト健太(中日1位)にレフトスタンドへ放り込まれたものの、8回を投げて14奪三振をマークした。
ブライト健太との対戦で得た“気づき”
スカウト陣に高く評価されたのは、勝負球として使える球種の豊富さだ。この日最速147キロをマークしたストレートに、スライダー、カットボール、フォーク、チェンジアップ、ツーシームと6球種すべてがウイニングショットになった。