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武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた 

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秀間翔哉

秀間翔哉Sanechika Hidema

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photograph byフォトチェスナット

posted2021/11/06 11:02

武豊「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」 “伝説のジャパンCダート”は世界を震撼させた<Number Web> photograph by フォトチェスナット

ダートGI・2勝馬につけた着差は7馬身。圧巻の走りを披露したクロフネ

 確かにクロフネは強すぎた。前年のレコードタイムを1秒以上も縮める2分5秒9という勝ち時計は今も日本レコードとして名を残す。そればかりか2100mで施行された同レースの後半1000mを59秒4で走ったクロフネが、仮に2400mを走り切るとして不足する残り300mを後半の平均ラップタイムで走破できると仮定すると、その想定タイムは2分23秒8にもなる。これはセクレタリアトのあのレコードをも凌駕する驚愕のタイムだ。クロフネの走りを目の当たりにしたアメリカの記者は現地紙にこう記したと言われている。

「日本には『クロフネ』という名の、白いセクレタリアトがいた」

 黒船来航から実に148年という悠久の時を経て、日本にやってきたその芦毛の馬は、日本が届かずにいた世界への扉に手をかけた。確かに、手をかけたのだ。

「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」

 21年1月、23歳でその生涯を閉じたクロフネの訃報に際して、現役時代の相棒・武豊は自身のブログにこう想いを寄せた。

「クロフネという名で外国の馬を負かしに行きたかった」

 ジャパンCダートでのレースぶりは、翌年のドバイWCやブリーダーズCクラシックの有力候補に名前が挙げられるほど世界を震撼させた。しかし、それからわずか1カ月後に屈腱炎が発覚し現役引退を余儀なくされた。チャーチルダウンズやベルモントパークで世界の強豪たちを飲み込んでいくクロフネの姿を見てみたかったものである。

(ネオユニヴァース編、ハルウララ編に続く)

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