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落合博満「高校生はひとりもいらない」中日スカウトが痛感した星野仙一との“決定的な差”《星野は計算の立たない高校生が好きだった》
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2021/10/23 17:03
1987~91、96~2001年と中日の監督を務めた星野仙一。88、99年と2回のリーグ優勝を経験
「いやあ、久しぶりにこんなピッチャー見ましたよ! 僕はこいつが大阪で一番やと思いますよ」
捲し立てる中田の声をスカウト部のトップは「そうか」と聞いていた。そして次の大会には自らやってきた。シーズン中にもかかわらず、一軍の投手コーチを連れてきた。
「監督がコーチと一緒に行ってこいと言ってくれたんだ。確かに、こいつはいいな。単独で指名できるようにやってみろ」
それから中田は門真市にある彼の実家に日参した。ドラフト前には「中田さん、もし他球団に指名されたら、社会人のチームに行きますから」と言ってもらえるまでになった。中田は、どの球団であれ、指名されれば入団すべきだと返答したが、胸の内では星野を信じていた。必ずこの投手を1位で指名してくれる――。
そして1988年の秋、中日はドラフト1位で18歳の今中慎二を単独指名した。その年は大分・津久見高校の川崎憲次郎や島根・江の川高校の谷繁元信など甲子園組が上位を占めていたが、球団と星野は全国の舞台を踏んでいない今中を選んでくれた。
中田はドラフト会場の片隅でひとり、拳を握った。
星野は《計算の立たない高校生が好きだった》
シーズンが始まると、星野は今中をいきなり一軍で投げさせた。中田の目に狂いはなかった。細身のサウスポーは1年目から勝ち星をあげると、2年目には10勝投手になり、5年目には17勝をあげて沢村賞投手になった。中田は自らの仕事が球団の血肉になり、その行く末を左右するのだと実感した。
星野は未知数で計算の立たない高校生が好きだった。1986年の近藤真一と山﨑武司に始まり、87年の立浪和義も、そして88年の今中も、スカウトが見つけてきた原石を上位で指名し、ゲームに使った。
「お前ら、使えんやつばっかり獲ってきやがって」
そう毒づきながらも、宇野勝らベテランをコンバートしてまで、彼らが試合に出るためのポジションを空けた。まだ無色透明の才能たちを怒鳴りつけ、蹴り上げ、熱く抱擁しながら自分色に染めていった。そうやって星野のカラーが色濃い、血縁のようなチームをつくりあげていった。
やがて原石たちが宝石として輝き始めると、星野は「ようやく使えるようになってきたやないか。お前らの目は間違ってなかったなあ」とスカウトたちを労った。中田たちは星野のその熱に触れたくて、よく一軍の球場に足を運んだ。
落合は「高校生はひとりもいらない」
一方で、落合の手法は対照的だった。